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2007年3月 1日 (木)

入試合格

3月1日(木)晴
5時過ぎには目が覚めて眠れない。
6時過ぎ起き出して病院行きの支度をする。
7時半家を出る。病院では早すぎて担任の先生がおはようと声を後ろから掛ける。
イの一番に診察を終わり、来月は転勤するので後任によく申し送っておくからと挨拶される。良い先生だったな!
帰路郵便局に立ち寄る。早すぎて少し待たされる。
さざん会中間報告ハガキ31通を料金別納でお願いする。
帰宅は9時10分頃。家内がせっせと落ち葉を掃いていた。

昼前から出かけて、来る4月17日からの信州高遠のさくら見物のツァー代金を支払いに主催者の阪急交通社に行く。
帰宅してみると、波多野君からさざん会欠席の返信が届いている。身体不自由で車も手放したし、遠距離旅行は諦めている由、ハガキいっぱいに消息を書いてくれている、残念だが仕方がない。

午後気になっていた、東京の二番目の孫娘の入試結果がどうなったか、恐る恐る家内に電話さす。いきなりその子が電話に出てうかったよという。思わず家内が歓声を上げる。私もどっとばかり幸福のぬくもりが総身に滾る。
よかった、落ちていたらどうなぐさめようとそちらが怖かった。
普段からよく勉強していたからと安心はしていたのだが、二年生のとき転校して来たハンディキャップがあり、先生の受けは必ずしもよくなかったみたいだったから、それが一つ心配の種だった。
試験は運不運がつきものだから、やはり幸運の女神がサイコロを振り込んでくれたのだろう。
元旦にお参りした防府の天満宮の霊験もあったのかもしれない。
近くお礼参りに参上しよう。

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2007年3月 2日 (金)

天神さんへお礼参り

3月2日(金)晴
朝食の時家内が急に、今日天気がいいから防府の天満宮にお礼参りに行こうと云う。
昨夜からどうでも孫たちの合格のお礼に早く参らねばと私が言っても未だ早いと言ってたのが、風向きが急に変わって驚く。
食事の片付けが終わると早々に出かける。
10時過ぎには着く。梅はほとんど散っていたがそれでも遅咲きの花が転々と美しく、特に香りが素晴らしい。
天神様には深々とこの度はありがとうございましたと声を出して言上し頭を下げる。
家内も同じ様にしたようだ。
社前を引き下がると、山口に向う。
写真を撮っておきたい所が少しばかりあったからだ。
椹野川、鰐石橋、赤根武人の碑、ザビエル教会、山口駅など想い出に繋がる場所などである。
山口駅の売店で弁当を買い求め、亀山に上がって置き石に腰を下ろしてささやかな腹ごしらえをする。
終わってから県立図書館に出かけ、従業員さんに無理を言って、山口の古地図を捜してもらう。
幸いに私が入学する前年に作成された地図が見つかり、歓喜してコピーをお願いする。これとても想い出に繋がる貴重な配置図であるからだ。現在の市街は全く違う町と同じで、訪れる度に悲しい気持ちにさせられ続けたものだったから、一応その違和感がふっきれることだろう。

山口南ICに出て4時半頃帰宅する。Img_0298tenjinume
Wanisibridge
Kameyama_1

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2007年3月 3日 (土)

楽しみ

3月3日(土)曇
曇っては居るが気温は相変わらず暖かい。
昨日の疲れがあって、身体が重い。午後ちょっと近くのスーパーにお供する。
来る21、22日は尾道グリーンヒルホテルと琴参閣に泊まって、両方の娘ら一家と歓談することになった。
楽しみである。
今日は田島君の欠席通知が来る。体調が悪く出席出来る様な状態ではないと云う。いつも出席に熱心だった彼も健康には勝てないということか。
横山君から慰労の電話がかかる。いつまでも有り難い友人である。

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2007年3月 4日 (日)

琵琶湖マラソン

3月4日(日)曇
予報では夕方には雨になると云ってるが、午後にも崩れそうな気配である。
そのうち時々青空がのぞいたりしてはっきりしなくなる。
正午から琵琶湖毎日マラソンが始まる。気温20度の中を走る選手は流石にスタミナ切れで、続々脱落し、早々とアフリカ勢4人の優勝争いにしぼられる。面白くもなんともない。
日本人は暑さには全く弱いなあとがっかり。家内は途中でテレビを消してしまう。私は自分の部屋に戻って寝転んで最後まで見ることは見たが。
最近のレースは必ずペースメーカーというのが付く。飛び出しを防ぐのだろうが、なんだかマラソンまで企業化して面白くない。こんなの止めたらどうだろう。選手の個性を止めてしまうような気がしてならない。
中山竹通選手のような前半ぶっとばして、ぶっちぎり優勝するなんて面白いのではないか。半ばを過ぎてもぞろぞろと何十人も連なって走るなんて嫌な感じ。

午後4時、雨どころか青空が雲を追っ払ってさんさんと日光が照り込む。

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2007年3月 5日 (月)

朝から昼寝

3月5日(月)曇
夜中に大分雨が降ったらしいが、夜明けには一応上がっている。風はかなり吹いている。寒くなるかも知れない。
しばらくパソコンに向っていたが、気乗りしないで眠くなり、ベッドにそのままの姿で潜り込む。
いつの間にか眠りに落ちたらしい。邯鄲夢の枕ではないが不思議なところを逍遙することになる。
アパートみたいな所に紛れ込み、身動き出来ないようになって、やっとそこから抜け出て外に出ると地震の後の様な荒廃した見たこともない光景に驚き戸惑う。行き場に苦しんでいると突然呼び鈴がなりハッと目覚める。
変な呼吸でもしていたのか口から喉までかさかさに乾いて息苦しい。
呼び鈴は昼飯の合図だったが、あれほど雲一杯だった空の一角から太陽がカーッと強い光線を部屋に灑ぎこんでいる。
私ぐらいの老人になると生きているだけで疲れるらしい。昼飯を食べるとまた眠くなる。
結局ベッド行きとなる。寝たまま死ねないかなと苦情を言ったりする。
もうわがままいっぱいで家内も持て余し気味。すまないね。
夕方には空は真っ暗になる。雨にならないのが不思議とも云える。
ふと思い出して1960年の第1回の同窓会の写真を検索して拾い出す。30名ばかり写っているが大半はもうこの世に居ない。それにしても皆若々しい。恩師の姿からが青年の様に血気盛んである。
私がカメラマンだから自分の姿はない。ちょっぴり淋しい。Sazan1

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2007年3月 6日 (火)

来年の事を言うと鬼が笑うのだが

3月6日(火)晴
またいい天気に戻る。朝少し冷えたが間もなく春の気候に還る。
白い雲の動きが激しい。西から東へ盛んに飛ぶ。昼近くなると目の前まで来るとすーと薄くなって消える。かなり大きな塊までばらばらになって、次々と消えて行く。何か魔法に掛かったみたいだ。
気になって1時間近く眺める。そのうち雲はとうとう無くなって青空に覆われてしまう。
忙しく暮らしていた時分はこんな気持ちで雲を眺めることはあり得なかった。
長生きしないとこんな日暮らしも出来ないわけだ。ちょっぴりせわしく暮らしている人々に教えてあげよう。
夕方来年の当番に当たる本間君が現在入院中の奥さんが近く退院なさるのだが、退院後の生活がどうなるかはっきりしないので、未だ出欠を決めかねている旨中間報告をいただく。うまく行って欲しい、さもないと来年ひょっとすると開催不能になるかもしれないからだ.
(写真は明治初年の山口藩庁門とザビエル教会のマリア像)Yamagutihan
Maria

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2007年3月 7日 (水)

天神山

3月7日(水)晴
今朝は摂氏1度、冬に逆戻り。千切れ雲が空いっぱい流れている。

昨夜仕掛けたパン焼き機がうまく作動せず変なものが出来てしまった。仕方がないので家内が残りご飯をおじやにして食わす。老人にはちょうどよい。
最近はパン焼き機を使うことがあまり無いので、手順をしくじったかも知れない。
何の器械でもそうだが、使用を怠るといつの間にか勝手に調子を崩してしまうことがよくある。
改めて沢山のパソコン、ワープロ、付属機器類に思いをやる。苔むさしてはいけないな。

気温が低いせいか沖の島々が近く見える。
以前は私のうちの前は天神の小山が楠の大木を抱えていい風情だったが、今は大きなビルが手前に出来て塞いでしまい、私の視界を駄目にしてしまった。沖の風景も従って点晴を欠くどころの話ではない。

橋本君が昨年に引き続いて病気療養中とあって欠席の旨返信が入って来る。呑めない病気というところが一番情けない所以だろう。常連だった明るい彼も普通に振る舞えないでは残念だろうな。
Tenjinyama
Tenjinyama3_1

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2007年3月 8日 (木)

年度末の道路工事

3月8日(木)晴
晴れたり曇ったりの一日。気温は昨日同様上がらず。
孫の入学祝を送金しておく。
既に孫らのためにパソコン一台購入した由。今度はウインドーズヴィスタの入った奴にしたとのこと。今までMacばかり使っていたのだから暫くは戸惑うかもしれないな。まあよく勉強する方だからすぐ馴れるだろう。
学校の方針に従ったらしいから仕方がないのかもしれない。
Macの方がずっと使いやすいし、ウイルスにも感染し難いのだが、日本人はとかく大同に付く癖があって困ったものだ。悪貨が良貨を駆逐する良い例かも知れない。

今日の首相官邸からのメールに、年度末になると道路工事が増えて、交通の邪魔をする度合いの増加が目立つことは、私が現役時分から痛感していたのだが、未だにそれが続いているらしくその質疑応答が掲載されていた。
工事割合は道路管理者と占用企業者との共同作業を勧めて、交通障害機会の減少に努めているということは分かるが、年度末に何故集中するのかということには触れていない。
また東京だけに限らず地方都市でも同じ現象が多発している。
これは発注者の責任ではないのかということである。
質問者が聞きたかったのはそのことではないのか。

世の中とかく大きく強いものに力を貸したり安易に迎合することが多過ぎるようだ。

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2007年3月 9日 (金)

幸運

3月9日(金)晴
朝摂氏2度と少し冷たい。が時間が進むにつれ気温上昇、やはり春!
先日さざん会会員に送った中間報告に対する反応として、志治君から改めて詳しい戦争従軍体験記をコピーや書面で頂いた。軍隊では7度の幸運に恵まれて今日があると縷々書かれて居るが、事実そのどれももう一つの道を行けば、今日の生がなかったことはよく分かる。運命論者と自称し幸運だったと自戒、努力や天性だけによるものでないことを告白している。
しかし彼は戦後も幸運の道を転がり続け、大銀行の重役を始め実業界の要職を経て今日の悠々自適がある。
同じ運命とは云っても、私の様に田圃の中を這いずり回ったような運命とは段違いな人生だから羨ましい。

その彼がその書面の末尾に、マカッサルに居た時、敵B24爆撃機の空爆を受け、対応した日本のゼロ戦が下から体当たりして、もろともに墜落し海上に突っ込んだのを間近に目撃したとあるが、これも運命といえば運命かもしれないが、こうした作った死に方もあるわけである。
人の命、人の生き方いろいろあって、善し悪しは誰にも云えない。それが運命というものだろう。

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2007年3月10日 (土)

Toshiba 50

3月10日(土)晴後曇後雨
今日は東京大空襲で40万発近くの爆弾を投下され、10万人が死に帝都が焼け野が原に変わった日である。遠くは奉天の大会戦でロシアに快勝し日露戦争の帰趨を決定した日でもあった。
昔は陸軍記念日と云って年少の頃は忘れられない一日であった。
いよいよ春酣に向い、いやでも心浮く日々の始まりでもあった。
老いてはもうこの感傷はない。
家内に誘われて植物園に行く。相客がゼラニウム展があるという。
展示室に廻る。種類の多さに驚く。小柄な鉢植えが多いので一番大きな花の奇麗なのを撮影する。
和風庭園のしだれ梅は美しかった。一人カメラマンらしいのがしきりに位置を変え角度を変えて狙っていた。
昼食を園内のレストランで取って帰路につく。
昨夜私の部屋の蛍光灯が切れたので、スーパーに寄って聞いたのだが、toshibaの50が欲しいというといろいろ捜してくれたが、東芝40やパナソニック40はいくらでもあるのに、50は見つからなかった。
一旦帰宅して近所の電気屋に行って、尋ねたらtoshiba50は40wのことだといって、panasonic40をくれる。問いただすと、東芝が勝手に付けた名前だから50は関係ないという。帰宅して云う通りにしてみたらその通り間違いなかった。スーパーでは¥1430.だったのに、専門店では¥1680.取られた。授業料が高過ぎる。
Zeranium
Sidareume

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2007年3月11日 (日)

さざん会出欠半数確認

3月11日(日)晴
昨日夕方岡君と川崎君の欠席通知が来る。岡君は歩行困難で無理だとのこと。やむを得ないな。川崎君は月に3、4回のグルフに夢中らしいから元気なのに、男ヤマメ7年がこたえて、出て来るのが億劫らしい。気晴らしになってよいだろうにと思うが、人それぞれ思いがあって一筋縄では行かない。
以上で丁度半数から回答があった。出欠同数で1名が今月末正式回答するということだ。

朝雲は多いが時々雲間から射し込む日光は強い。時々小雨ちらつく。正午少し前になると、大きな雲全体が南方に押しやられ青空の面積がぐっと広がる。後には白雲が群れ飛びながら南へ消えて行く。
午後2時半片々たるちぎれ雲僅かに流れて中天青一色。
移り変わりの激しい一日だった。

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2007年3月12日 (月)

日本製の誇りは何処に

3月12日(月)晴
HDの一つがからからと音がして認識出来なくなった。購入先に持参する。丁度今朝のテレビでセイコーのシェーバーの充電器が火を吹くのを見せられてその凄さに驚き、いつも使っているセイコーだからその充電器新旧2個もついでに持参する。修理するか交換するか、どちらも暫く時間がかかるらしい。
不良品にもよるけれど、人命に関わるとあってはやはり真剣にならざるを得ない。
昔の様に日本製品だけは大丈夫と云えなくなったことは淋しい。
そういえば最近買った電気釜や電気洗濯機、電気掃除機まで前の方がよかったと家内がこぼすことが多くなった。機能だけはやたら多くなり、自動などの便利さを追究し過ぎるあまり本質を低下させてはなんにもならない。情けないことだ。

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2007年3月13日 (火)

仰げば尊し

3月13日(火)晴
昨夜は寅さんの映画を見た。繰り返し何度も見るのだが相変わらず面白い。いつものどたばた恋愛劇でないところがよかった。
娯楽の真骨頂といっても肩肘張らないところが何ともいえずよい。

昨日は終日学生時代のアルバムから恩師の画像をスキャンして印刷まで行った。
同窓会の資料として披露し、改めて70年前の恩師の姿を思い起こさせたいとの願いから思いたった。
仰げば尊しの言葉通り、一人一人お顔を拝見するごとに、走馬灯の如く若き日が思い起こされる。
校長先生は中学の先輩でもあったので、その同窓会にはいつも出席され訓示を賜った。何度かあったグループ面接などでも、先生の寸鉄人を刺す一言に魂を揺さぶられた。私の性格をあまりにも的確に捉えられた言葉は未だに忘れない。

昼の配達で、水戸君のさざん会欠席の通知が入る。出席常連の彼がと一瞬驚く、リンパ節癌とあり再度仰天、老齢になると元気は全く当てにならない。残念至極。早速見舞と激励のメールを送る。

広島に所用で出向く家内を途中のアルパークまで送り一緒に食事と買い物をして別れる。

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2007年3月14日 (水)

母の命日

3月14日(水)晴
明日から天気が崩れるとの予報もあり、明日の命日に先立ち母の墓参りすることにする。
十時半頃家を出て、途中のスーパーでお花などを買い、食事も済ませて真っすぐ墓地のある山に登る。
途中の駐車場がいっぱいで困る。聞けば幼稚園の父兄参観があるとのことで夕方まで掛かるというので、他の車の後ろに駐車したまま登る。
母が死んでからもう21年にもなる。早いものである。私の年齢がその年に間もなく追いつく。
どちらが長生きかまだなんともいえない。
一応今日が最後のお参りになるかもと心の中でお別れを言う。
近くにある室本の墓にも参る。家内が掃除している間に更に下の蔵重善人さんの墓にも参る。墓碑銘を見ると66歳で死去とあり、長男の彰男さんも66歳死去と奇しくも同じ年齢で並んで刻んである。随分早く亡くなったのだなあと驚く。この人には随分目をかけてもらったのだがと感慨が深い。

次いでだから川下の家内の両親の墓地に廻り花を捧げて、残りの時間で吉香公園に遊ぶ。
広い公園の内外を徴古館のあたりまでさまよい続けて、いつまでも別れを惜しむ。
梅花の残る所もいくつかあったが、桜はまだ蕾が堅い。

公園の駐車場の側にappleのマークを付けた家がある。覗いて見ると”welcome to Mac's world"と表示がある。
面白い方だなと思ったが、外国の人だと困るから見るだけで引き返した。

無性に疲労がにじみ出て、やっとの思いで帰宅する。
帰宅してから2時間半ぐっすり眠る。もう歳は争えない。
Tomb
Siro_dobei
Apples_house

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2007年3月15日 (木)

春雨

3月15日(木)雨
空は一面灰色。気温も下がって春の気配はない。雨も時折しとしと降っている。
起きてる気がしないので、朝飯が終わると間もなく就寝。といっても眠れないのでFMを聞き、CDを聞く。リモコン一つで操作出来るので寝ながらでも大丈夫。
そのうちいつの間にか寝込んで昼のベルで驚いて悪夢から覚める。

午後予報取り雨は小止みなく降り続く。母の墓参りは昨日済ましたのでいくら降っても関係ない。
来月5日は今度は婿の生母の13回忌だから、孫らもつれて帰郷する予定。久しぶりに孫らに会えて嬉しい。
来学期はそれぞれ大学や高校に進学する。希望校に決まったからさぞ賑やかなことだろう。

夕方坂口君が出席を云うて来る。クラス最強の元気者、関西の常任世話役の彼のこともちろん予定通り。
横浜の横田君俳句や近郊の野歩き、読書と健康な生活を送っていて、私の中間報告の写真など見て心が動いたが、やはり永年欠席続きで気後れしたのか、欠席を云って来る。

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2007年3月16日 (金)

花見

3月16日(金)曇
今日も灰色に覆われた空、こぼれ日も洩れる隙がない。いやちょっと洩れたりしたかな。
風もあって冷たく、外に出る気はしない。
新聞などの報ずるところによると、灯油の売り上げが頗る悪く、石油各社は原油処理減産を始めたとある。
が、ここに来て我が家でもこの寒さでストーヴを焚く時間が倍増している。やはり油断はならない。
さくらもびっくりしているのではないか。
今年は姉妹全員と一緒に、花見に高遠や甲州の桜を見に行くことにしている。4月17、18日に予定しているが、的中するかどうか、宝くじよりも難しそうである。

午後2時を過ぎる頃西空から晴れて来る。日射しも強くなる。
そのまま波乱なく夕暮れとなる。

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2007年3月17日 (土)

スルメ

3月17日(土)曇後晴
起き抜けの気温は3度といつもとほとんど変わらない。
午後になると雲も少なくなり日射しが部屋を覗く。

家内のお供をして買い物に出る。大きなスーパーでも土曜日とあって駐車場はいっぱい。
旅行のために四国の地図を買う。婿らが案内してくれるので予備知識導入のためだ。

北海道のスルメの宣伝販売をしていたのに吊られて少し買う。やわらかくて食いよい。元来スルメは好物なのだが、近年歯が衰えて食い難いので殆ど食わない。永年の付き合いで年末に買わされた島根県の剣先スルメがまだ残っている。しかし今日のは本当に柔らかくておいしい。どんな加工をしているのだろう。冷えて固くなったらチンすれば良いというのだが。

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2007年3月18日 (日)

隣の市に住む妹

3月18日(日)晴
田丸の妹が電話して来る。一月に一年分のブログを製本したのを一冊贈呈したのだが、やっと読み終わったという。
小さい頃の事をいろいろ思い出して書いた部分があるのだが、思い当たることがあって楽しかったという。2歳下なので、ほとんど記憶が共通しているだろうから、よく理解出来るのだろう。
夏蜜柑も未だ残っているからどうかというが、こちらにもまだある。
妹はまだ畑をいじったりしている。寝たきりの亭主を抱えながら、ぶつぶついいつつもよくやっている。
私は百姓は苦手だが、こうしてブログなど書いて頭の体操は怠りない。
お互い元気なのはいいことだ。
去年秋には一緒に天草方面を旅行したが、今度は五島列島に行きたいという。私も二度企てたことがあるが、天候と勤めの都合でどちらも中止の已むなきに到った。船で行く所は、数年前の隠岐行きでもそうだったがなかなか予定通り行かない。このときも3度変更して4度目だったが、これすらも、一日遅れたら帰りが台風にぶっつかっていた。予定するのが難しいよと返事をする。

今日は終日好天気で部屋の中は暑いくらい。外は例の寒気のせいでなかなか気温が上がらない。
こんなに何日もつづくとさくらの開花も例年通りとなるかも知れない。こちらはその方がいいのだが。

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2007年3月19日 (月)

気になるさざん会

3月19日(月)曇
高曇りで雨になる気配はないが、日射しがないので寒い。やはり桜の開花はいつもの通りになりそうである。

終日さざん会の資料作りに明け暮れる。
卒業後20周年記念の会報を引っ張り出してスキャンし、会員全員に配るべく印刷する。

何しろ50年前の新聞だから焼けたり薄汚れて写真はもう殆ど判読出来ない。
photoshopで何とか活字だけは読める様にする。
タブロイドで4ページある。
開会の世話をしてくれた、当時宇部時報と云った新聞の主宰をしていた脇君が、そのノウハウを生かしたものだけにそつなく編集されている。
私の写真は何となく分かる。その上私が一番遅く駆けつけたので一番最初に自己紹介をさせられたと記事に書いてある。丁度その1ヶ月前に経営している会社が倒産して、その善後策に奔走していたので、やっとのこと合間をすり抜けて出席したのだった。

それいらい33回目の今年である。6回目からは毎年どこかで開いている。会員の多い所には幹事を置いて世話をしてきた。ここにきて来年はその幹事が危なくなった。先般の返信にそこらの事情が書いてある。来月末まで返事を待ってくれとある。

もう間もなく90歳である。すでに超えたものも何人か居る。ぼつぼつお開きにしても文句は云えないということか。

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2007年3月20日 (火)

3月20日(火)晴
朝4度。空も真っ青。なんとなく春の感じ。さくらも目を覚ましたかな。明日へ繋がるかこの天気。
明日は尾道へ婿たちの招待だが、千光寺公園はまだ蕾だろう。
家内は着るものなど気遣いが忙しい。私はムービーやデジカメの、そしてカミソリの電池の充電を早速始める。
2泊3日の旅だが、近くでも旅は矢張り旅。

最近旅をしても、美味しいものを食っても、楽しい映画を見ても皆空しいことを知っている。ましてや録画したり録音したり、自分で見聞きする機会のもうないものを、取りためてどうするんだと絶えず頭の隅から声が掛かって来る。
しかし死期が遠くないことは事実だが、それまで何時間何日あるかは誰にも分からない。空しさは若くても同じではないかともおもえる。
死の直前でも見たり聞いたりする以外に生の燃焼し方はない。好き嫌いの問題ではないのである。

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2007年3月21日 (水)

戦争補償

私は最近の風潮に少し違和感が湧いて仕方がない。

今この日本を背負っているのは、正しく戦後のしかも20年30年も経って生まれて来た人たちである。
それなのにやたら戦時中の事を持ち出して補償をしろという訴えが多過ぎる。
やれ強制労働だの慰安婦だの、補償の相手が違うのではないか。戦後の若い世代はなんのことか分からないので答えることも対応することも出来ない。

当事者と云われる私達老人にしたところが、大部分が戦場で弾の下を駆け回っていたに過ぎない。
戦争を指導したものは、もう少し前の世代であって、死んでいるか耄碌しているか事実の確認のしようがない。
それでも補償はおろか戦争被害の受け損のまま推移している。戦後世代の税金で処理するなんて笑い話にもならない。
戦争時代の事は当事者が居ない今日どうしようもない。

戦争は全国民に多大な損害を与えたまま終わっている。皆無の状態から立ち上がって今日がある。国家といい、国民といい別のものではない。負けて皆失った上にどうしろというのかと言いたい。

法律的には時効という制度もある。それでは気の毒というのであれば、最近いろいろの救済手段があるのではないか。
手っ取り早く応用して解決出来ないものかと思う。理由付けをすれば解決が長引く。早い方がどちらも得なのではないだろうか。

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2007年3月23日 (金)

尾道と金比羅

3月21日(水)晴
午前10時前婿の車で尾道に運ばれる。私の米寿の祝をやってくれるということで、子や孫全員が尾道の宮徳という割烹の一室に私の家内を含めて10名全員が勢揃いをした。
東京の娘らは夜行バスで今朝早く福山に着き、JRで尾道に移動し千光寺など参詣した挙げ句とあっていささか疲労の気配が濃い。東京の婿だけは仕事の関係で大分遅れて新幹線から乗り継いで到着する。
私としては長寿のおかげでこうした栄誉を受ける次第だが、正直な所この時期一番仕事の忙しい時期に集合させたことの申し訳なさもあって何となく喜びが沸き上がらない。従って場違いな”千の風”を朗読などして挨拶代わりとする。
何はともあれ全員が揃ったことは格別の嬉しさで、これにはお互い滅多に顔を合わすことの無いもの同士がそのアイデンティティを確認できたことで満足したことだろうと思った。
一番上の孫がこの6月結婚することになり、次女の方の孫たちはそれぞれ希望の学校に進学する。今後こんな最高の恵まれたチャンスには逢えないと思えることでも良かった気がする。
広島の婿らは会の終了後帰って云ったが、東京の婿ら一家とは尾道のホテルで一泊。
全く様変わりした港町や駅周辺を見回り、夜景を存分に楽しんだ。

3月22日(木)晴
午前9時予約していたレンタカー会社に行き、婿の運転で瀬戸大橋経由で、琴平に向い、家内が希望していた金比羅様に参拝する。孫たちは勿論始めてである。私は3度目だが、最近でも38年前だから記憶があいまいである。
長い石段はよく承知していたが、此の歳では流石に参る。やっと子や孫たちの声援で本宮までたどり着く。
38年前には奥宮まで1300段を登り切ったと思うが、今回はとてもそこまでは行けなかった。
あの時は元日で猛烈な混雑に人との接触に疲れ、家内は途中でダウンした。今回は左程の人出もなくその意味では楽なお参りだったのだが。
登りも息を切らしたが、下りは時間は短かかったが足のダメージは凄かったようだ。
琴参閣での温泉マッサージ効果もなく、一寝入りした直後猛烈な痙攣に襲われる。
息が止まる程だった。私の悲鳴に子も孫も驚いた風だった。
おいぼれはやはり無理は禁物ということだ。Onomitiharbar
Onomitistation
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2007年3月24日 (土)

予定外

雨の朝。
疲れを休めるには丁度いい。
家内は食事抜きで休んでいる。いくらか落ちついたが腹具合はまだ良くないらしい。
以下昨日の波乱の一日を載せるとしよう。

3月23日(金)快晴
琴平の空は春霞に覆われる。
昨日の疲れはやはりただ事ではなかった。
家内の希望で栗林公園に廻ってもらったのだったが、私は疲れで足が痛み生気はなかった。
婿もどこか生気がなく、10分ぐらい廻ったところで、ここで別れようということになり、婿ら四名は早々と去って行った。
婿らは明日の亡母の13回忌法要のため鳴門に向うことになっていた。

家内は元気にあちこち私を引っ張り回ってほとんどこの広い公園を一周する。
松の美しさは日本一だろう。手入れの行き届いた正に名園である。
11時頃北口から出て、行きずりのタクシーを拾って高松駅に出る。
駅の周辺の変わり様に驚く。

二階の食堂で名物のうどんを食べ、丁度タイミングよく岡山行きがあったのでそれに乗る。
岡山からは新幹線が少し込んでいたが、べつべつに座席が取れ、うとうとしながら広島まで行く。
駅ビルの地下のスーパーで買い物して普通電車で帰宅。
安心したと同時にどっと疲れが吹き出し正にバタンキューとなった。
夕方まで2時間ぐっすり眠る。

夕食を終わった後、風呂に入る頃、家内が突然吐いたり下げたりおおごとになってしまった。
何が原因か本人もわからない。多分生来の胃弱のところに過労と過食がたたったのだろうということになる。
同じものを終始食べて来た私が何でもないのだから家内の言い分を信じないわけに行かない。

志治君から再度封書が届いている。膝が痛むので歩行困難でやはりさざん会出席は出来ないと書いてある。
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Riturin
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2007年3月26日 (月)

地震大国

3月26日(月)晴
今朝再度デオデオに出かける。DVビデオカメラのクリーニングテープを買って来てビデオの掃除をする。赤マークが出て、気になり放しの旅行だったので。

昨日の能登地震の災害状況に驚く。マグニチュード7.1となると流石に大きい。
地震大国日本とあれば致し方ない。死者1名で済んだことは幸運だった。

広陵が幸運の内野安打で勝ち越し、延長12回の接戦を制して、何とか好投手唐川の成田高校を2−1で破った。
どちらが勝っても良い様な勝負だったが、僅かに運が広陵に味方した。
(写真は読売新聞より転載)
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2007年3月27日 (火)

建物の心配

3月27日(火)曇後雨
隣の原田さんが、屋根の改修や壁の塗装を二三日前から始めた。旅行で留守に工事者が挨拶に来たらしいが、昨日改めて挨拶に見える。
家というものは自分のものなら好き勝手に出来ると思っても、無限に使えるものではないので、いろいろ日頃から心配の種はつきない。
地震などあると忽ち問題になる。目に見えない所で故障が起きてることがある。

芸予地震のときも、保険会社から声を掛けられて、改めて見回るとブロック塀にあちこちと亀裂が入っていて、驚いて修理や補強柱を作ってもらったりした。
それから一年も経って便所の排水が外に漏り始めたことに気づいた。
土中の配管の継ぎ目が外れていた。今度は大工事である。何十万も掛かってしまった。
遅すぎて保険の適用も出来ない。

今度の能登の地震も震度6以上となると、倒れない家でも後が大変で、見かけだけ良くても必ず後遺症がある。何ヶ月も何年も経ってみないとわからないからだ。気の毒なことである。
法律で設計基準震度5とか6以上などと云って基準を建てた所で地震はそんなことは無視する。
今まで地震などなかったところでも、今度の様に大きな地震が起る。人の犠牲が少なかったので、小さく見えるだけだ。人間の考えることなど結局独りよがりに過ぎないと思うべきである。

岡山の関西が高知高校を4-2で破って、中国3チームがいずれも一回戦を突破した。少しレベルが上がったのかな。

西平君が欠席を届けて来る。消息が書いてないので、体調が悪いのか都合が悪いのか、理由は分からない。
年賀状はいつもいただくのだが、同窓会には出たくないのかも知れない。

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2007年3月29日 (木)

物忘れ

3月29日(木)曇
春霞と思ったは少し違っていたらしい。昨日の夜のテレビ報道によると黄砂が原因という。偏西風に流されてゴビの砂漠から飛んで来ているとか。
今日も全く同じで海も島も全く見えない。普通の雲や霞とはよく見ると違っている。
地球は大きい様でも、実はそれほどでもないのだ。すぐ隣の国から砂が飛んで来て、太陽も見えないくらいだから。

気温は相変わらず暖かく朝から10度を超えている。お陰で庭の桃は大きく膨らんで今にも花が咲きそうである。
去年はやきもきさせられたから、一週間は早い開花となるだろう。

午後やっと宮島がうっすらと顔を出す。日も雲を透して時々洩れ始める。

デオデオに注文していたものが入荷したと電話があったので、出かけてもらって帰るといやに台所の空気が暖かい。変だなと思って声を掛けたが返事が無い。家内は何処かへ出かけたらしい。あたりを見回すとガスコンロの茶瓶の下に青白い炎が見える。これだと茶瓶に触れると熱くて慌てて取り落とす。カラカラと音。からっぽになっている。
道理でとスイッチをひねる。
消し忘れて出かけたらしい。ちょいちょいやるので物騒なことだ。
老人家庭は火の回りは用心しないといけないなと反省しきり。
忘れるなと云っても無理だから、設備の安全装置を考えないといけないな。

デオデオの注文品もcardとpostcardの違いで役に立たず、もう一度注文し直すことになる。
ここにも老人の手落ちが起きる。簡単には済まない、困ったものだ。

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2007年3月30日 (金)

広陵と関西

3月30日(金)曇
雨で少し遅れて始まった甲子園、広陵と北陽の一戦は広陵の機動力が北陽を圧倒し、結局5-3でベスト8に進出した。
期待の地元チームだけにこのまま決勝まで行って欲しい。
午後甲子園と同じくこちらの空も雲がちぎれて青空が覗き、さんさんと明るい陽光がふりそそぐ。
岡山の関西も12-0と創造大付属を一蹴し、中国勢が揃ってベスト8に進む。
今年はやるかもしれないぞ!

庭の桃が一気に開花を始めた。

本間君が奥さん介護のためどうにもならずさざん会欠席を云って来る。
もう誰彼と云わず、意思はあってもこの年齢叶わぬことが多くなる。
Peach

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