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2006年12月12日 (火)

森脇瑶子の日記

一昨晩音楽会を聞きに行き、早すぎて時間があったので、下の階の図書館に入り、なにげなく書棚を見ていると、原爆関係の棚の中に”広島第一県女一年六組 森脇瑶子の日記”というのが目に留まった。
ひっぱり出してぱらぱらと拾い読みしていると、先ず丹念に毎日書き連ねている日記に気を引かれた。
日記は私も特に最近は丹念につけるほうだから、人のでも関心があるわけだ。
この日記はこの子が女学校に入学した日から、原爆投下の前日即ち昭和20年8月5日までの4ヶ月間の記録である。
気になったので、そのまま手続きをして借りて帰った。

朝から読み始めたのだが、終に行くにつれ感動が募って止められなくなり、午前中掛かって読了してしまった。

彼女は毎日空襲警報に学業を中断されながら、宮島の自宅から朝早く起きて、連絡船や電車を乗り継いで通学した事が、克明に書き連ねられている。途中2回の乗り継ぎがあり、徒歩区間もかなりあり、電車の遅れなどで遅刻したりしたこともある。
後半は勤労奉仕であちこちの作業に追い使われ、7里の道を足を引きずりながら通う事もあった。
そして運命の一日が何気なくやってくるのである。
爆心の下約700米の土橋付近の疎開作業に従事しているとき、家屋を取り払った平地での被爆だから助かる筈は無い。彼女ら一年生の全員に担任の先生など含めて約297名がその命を失った。
夜焼け爛れた身で、トラックで収容され10キロ先の学校で命を引き取るのだが、その詳細が最後を看取られた人の記録など記されてあり、読んだ瞬間の感動は激しく私の心を打った。滂沱たる涙はもうどうしようもなかった。
後日戦地から帰還した父親が帰国の徒次作詞作曲した「娘いとし」の詩など読むと、既に遅かりし悔いに、悲痛というか無念さきわまりない。

人の運命とはかくも非情なものか、今更の如く感ぜざるを得ない。
戦争の悲惨、原爆の悲惨、体験しないものには、どんなことをしても伝わる事はないのではと感ずる。
そして性懲りもなく同じことが繰り返されるのかも知れないのである。
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