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2006年12月 3日 (日)

一代限りでよい

家内に聞くと長女の娘の小さい方が友達と又ドイツに遊びに行ってるそうだ。
つい先だっては、ベトナムへ姉と二人で出かけて、病気で現地の病院に入院したりした。まだ3、4ヶ月しか経ってないのに今度はドイツというのだから驚く。今度は誘われて仕方なかったのだろうが、まるで隣へでも出かける様に遊びに行くのだから叶わない。
時代が変わったとつくづく思わないわけには行かない。
しかしこちらが子供だと思っている間に、もう25歳にもなってるのだから結構立派な大人だ。
認識が甘かったと低身平頭させられるのはこちらだったと気づく。年末になるとお年玉を用意したりしたのは、つい最近のことだったのに。

昔の写真を見たりすると、可愛らしい子供の写真が沢山ある。もちろん孫ばかりではない。もうすぐ老境に入る予定の子らの写真も数多い。
こんなのを見るのはやはりよくないなと思ったりする。錯覚を起こしたりするおそれが多分にある。

先般も所用があって、古いアルバムを開いて友人の息子の名前を調べたのだが、もう今は上場企業になっている友人の会社の3代目の社長さんになっているのが、友人と肩を並べて立っている可愛い少年だった。

また大分前の事だが、『喜びも悲しみも幾年月」という名画があったが、その続編の最後の方で死に行く祖父が孫に沢山の写真類を将来害になるからと焼却を遺言する場面があった。孫は言われた通り、砂浜に持ち出して焼き始めるのだが、途中で惜しくなって、火を消して止めてしまう。映画はこの場面で終わってしまった。
現実の世界では、孫には不要のむしろ害悪の遺物かもしれない。祖父のこれらの写真は自分の記憶の中では貴重なものでも、将来に禍根を残すものとの選択は正しかったのではと今更思い起こすのである。

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