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2006年12月 9日 (土)

忘れ得ない日

私の86年の生涯に於いて最も印象的なことがらは、何といっても大東亜戦争勃発の日である。
年月日はもちろん時間の推移まで、鮮明に記憶しているものは他に無い。
昭和16年(1941)12月8日、朝8時過ぎ平常通り駒門の廠舎を出発、各区隊毎順次に伊豆方面に向って行動を起こし、途中敵情を想定しながら演習を繰り返して、正午ころ修善寺に達した。

この日は我が関東軍自動車聯隊幹部候補生隊の、全員では教官、助手、生徒を合わせると240名にもなり、使用自動車30台、2週間に亘る富士裾野5合目付近にある駒門廠舎での第1次野外演習の最中であった。
5区隊に分かれ、私は第5区隊に所属していた。

幌のない貨車の荷框に乗せられて、敵情ありしときや、敵機襲来のときは、下車して戦闘準備する訓練を繰り返しながら、御殿場を経て南下した。途中付近の住民が歓呼をあげて、みかんを盛んに投げ込んでくれ、戦時下のことで慣れてはいたが、それにしても少し異常だなと思っていた。

修善寺の川で飯盒炊爨を終わって、付近の食堂に入りお茶の接待を受けながら食事を始めた。
途端に店のラジオで東條首相の甲高い声での演説が始まった。ハワイで日米が開戦したというのである。
険悪な事は知っていたが、とても勝てる相手でないので戦う事はないだろうと思っていただけに、これは先々どうなるんだろう、もう命は捨てたも同然だなと覚悟せざるを得なかった。

食事を終わるとすぐ演習中止が伝えられ、一先ず駒門廠舎まで帰り、その夜6時頃世田谷の学校に帰るべく出発した。
来た時は大磯でキャンプして、120キロの道を2日がかりだったが、帰りは徹夜で一気に世田谷に帰った。
時速10キロの行軍隊列が、夜半轟音を残して延々数キロに亘って田舎道を走り去る光景は、闇の中だけに住民に異様の感慨を与えたに違いない。学校に帰った時は既に長い冬の夜も明け広がっていた。

Departure
Training
Training2Newspaper2_1
Plan3

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