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2006年12月 4日 (月)

私の棲窔

私がこの部屋に寝起きする様になってから丁度20年になる。
私も動物の一種だから、自分に合った穴ぐらを持っても何も可笑しくないと思っている。
年を経るごとに持ち物が増え、蔵書などはもう部屋に置き切れないので、別の部屋や廊下、押し入れなどに詰め込まれている。もう見る可能性のないものは、全部ゴミとして処分した。それでも私の死後の処分が大変だと、家内や娘などがぶつぶつ言っている。
パソコンの周辺機器などは、古くて使えないものはどんどん捨てる様にしているが、まだ使えるものは箱に入れて、ベッドの下や、隣の部屋につぎつぎと押し込む。中には空箱などと一緒に洋服ダンスや本箱の上に置いたものもある。
次女が嫁入りして、空いた2階の勉強部屋の4畳半を利用したのだから、ベッドと机、パソコンセット、テレビ・オーディオセット、それに書物棚3でもういっぱい。
20年間には模様替えも10回は下らない。

そこへこの夏から、応接間のクッションの良い一人用の椅子を持ち込んだ。
事務用の椅子かベッドでは、寝るか仕事かだけになって、ゆっくり身体を起こして新聞や本を読む事が出来ないし、テレビも見られない。
やむを得ずこの狭い空間に大きな応接用椅子を持ち込む決心をしたわけ。一つには応接間が最近来客一人なくて無駄な部屋になり、時折家内が新聞を読むだけの部屋になってしまったからでもある。
狭い部屋がますます身動き取れなくなった。そこで考えたのは、動かすに便利な様にベッドと机以外に全部キャスターを付ける事にした。冬に向ってある日、日曜大工で実行した。
これは我ながら名案だった。
持ち込んだ応接用の椅子は朝に晩に、外向きにして日光浴したり、内向きにしてテレビ鑑賞などに使う。
ちょっとくるっと廻すだけだから、老人の手でも力は要らない。
快心の策と内心ほくそ笑んでいる。

ただ、たった二人だけの家になって仕舞ったこの家も後何年でお払い箱になるのだろう。
一人だけにでもなったら、お化けでも出て来そうで、淋しくて居る気はしなくなるかも知れない。
*タイトルの「窔」はエウと読み、「家屋の東南隅をいう」と漢和辞書にある。従って「棲窔」は私の造語ということになる。Img_0150

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