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2006年12月 1日 (金)

縁台の夢

枕元で子供らの騒ぐ声が聞こえる。この爺さんは誰だと言ってるらしい。
店の中からおばさんが警察に電話するから、さわるなとか何とか言ってるようだ。
こりゃあいけないと起き上がろうとするが、どうもがいても身体が重くていうことをきかない。もがきつかれているうち、ふと目が覚めた。午後3時、私のベッドの中だった。
どうやら夢を見ていたらしい。
夢の中では、天気が良いので他所の置き座に寝転がっているうちに寝てしまったのである。

昔はどこの店先にも置き座という巾50センチ長さ2メートル、高さが膝くらいの木製の台が置いてあった。縁台と言ったかもしれない。
ちょっと腰を下ろしてお茶の接待を受けたり、子供らがおもちゃ遊びをしたり、夕方には涼み台になったりした。
時には囲碁将棋の舞台にもなったりした。そういえば縁台将棋などという言葉が落語に出て来たりした。
農家の私のうちにも、何かと使い勝手がよいので庭先に転がしてあった。
夏暑い日に、軒先の涼しい日陰に移動して、うたた寝などするには持ってこいだった。
思いがけず今は何処にも見かけないこの置き座を夢に見たわけである。

落語に出て来るぐらいだから、私の部落だけの習慣ではなかったのだろう。
しかし今はどこでも見かける事はない。何時からこうなったのだろうか。
私のうちは爆撃で家そのものが無くなった日からだが、やはり戦後同じ様に焼かれたり、破壊されたりして、そうした習慣そのものが消えて行った気がする。
道路の一部を占領していたから、自動車時代になって通行の邪魔になったのが一番の原因だし、座敷に上がる日本の生活の基準が変わったのが次の原因でなくなったのかもしれないな。

戦後は一大革命が来たと同じで、日本のものは政治はもちろん生活習慣まで影をひそめた。私などは戦地から帰るまで、英語を使える様にならないと生きて行けないかもしれないと思っていた。そして帰郷して進駐軍が我が物顔に横行しているのを見てやはりと思い、3ヶ月目には東京の外国語専門学校に願書を出して入学してしまった。
上京してみると、まだ日本語でどこでも大丈夫なのに一応安心したが、これから生き抜くにはやはり英語でなくてはと、進駐軍のCivil Censorship Detachmentという所に就職した。
所が僅か4ヶ月で遅配欠配の食料事情で肺結核がひどくなり、すごすごと東京から退却した。

それ以来私の人生は夢遊病のごとく取り止めもなくなってしまった。

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