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2006年12月 1日 (金)

縁台の夢

枕元で子供らの騒ぐ声が聞こえる。この爺さんは誰だと言ってるらしい。
店の中からおばさんが警察に電話するから、さわるなとか何とか言ってるようだ。
こりゃあいけないと起き上がろうとするが、どうもがいても身体が重くていうことをきかない。もがきつかれているうち、ふと目が覚めた。午後3時、私のベッドの中だった。
どうやら夢を見ていたらしい。
夢の中では、天気が良いので他所の置き座に寝転がっているうちに寝てしまったのである。

昔はどこの店先にも置き座という巾50センチ長さ2メートル、高さが膝くらいの木製の台が置いてあった。縁台と言ったかもしれない。
ちょっと腰を下ろしてお茶の接待を受けたり、子供らがおもちゃ遊びをしたり、夕方には涼み台になったりした。
時には囲碁将棋の舞台にもなったりした。そういえば縁台将棋などという言葉が落語に出て来たりした。
農家の私のうちにも、何かと使い勝手がよいので庭先に転がしてあった。
夏暑い日に、軒先の涼しい日陰に移動して、うたた寝などするには持ってこいだった。
思いがけず今は何処にも見かけないこの置き座を夢に見たわけである。

落語に出て来るぐらいだから、私の部落だけの習慣ではなかったのだろう。
しかし今はどこでも見かける事はない。何時からこうなったのだろうか。
私のうちは爆撃で家そのものが無くなった日からだが、やはり戦後同じ様に焼かれたり、破壊されたりして、そうした習慣そのものが消えて行った気がする。
道路の一部を占領していたから、自動車時代になって通行の邪魔になったのが一番の原因だし、座敷に上がる日本の生活の基準が変わったのが次の原因でなくなったのかもしれないな。

戦後は一大革命が来たと同じで、日本のものは政治はもちろん生活習慣まで影をひそめた。私などは戦地から帰るまで、英語を使える様にならないと生きて行けないかもしれないと思っていた。そして帰郷して進駐軍が我が物顔に横行しているのを見てやはりと思い、3ヶ月目には東京の外国語専門学校に願書を出して入学してしまった。
上京してみると、まだ日本語でどこでも大丈夫なのに一応安心したが、これから生き抜くにはやはり英語でなくてはと、進駐軍のCivil Censorship Detachmentという所に就職した。
所が僅か4ヶ月で遅配欠配の食料事情で肺結核がひどくなり、すごすごと東京から退却した。

それ以来私の人生は夢遊病のごとく取り止めもなくなってしまった。

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2006年12月 2日 (土)

テレビ映画

昨夜は滅多に見ない民放の映画を途中から突き射る様に見てしまった。
何だか馬鹿に面白かった。
題名は「ALWAYS 三丁目の夕日」という分かったような分からないようなタイトル。
配役は全部知らないものばかり。だが皆生き生きしていて、騒がしくそれでいて昔の長屋の人情が浮き出ている。
特に子供たちがうまかった。昔突貫小僧というのがいたがそれを思い出した。
今時こんな映画が作られていることに驚いた。
監督は山崎貴とあって、これ又聞いた事がない人。結構うまい作りで感心する。
民放だからCMのカットに苦労する。CMになると消音にする。20回以上あったろうから忙しい。
こればかりは全然興味がない。
終に続編がつくられるとか出ていたが、出たら又見るかもしれない。もっとも寿命があったらの話だが。

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2006年12月 3日 (日)

一代限りでよい

家内に聞くと長女の娘の小さい方が友達と又ドイツに遊びに行ってるそうだ。
つい先だっては、ベトナムへ姉と二人で出かけて、病気で現地の病院に入院したりした。まだ3、4ヶ月しか経ってないのに今度はドイツというのだから驚く。今度は誘われて仕方なかったのだろうが、まるで隣へでも出かける様に遊びに行くのだから叶わない。
時代が変わったとつくづく思わないわけには行かない。
しかしこちらが子供だと思っている間に、もう25歳にもなってるのだから結構立派な大人だ。
認識が甘かったと低身平頭させられるのはこちらだったと気づく。年末になるとお年玉を用意したりしたのは、つい最近のことだったのに。

昔の写真を見たりすると、可愛らしい子供の写真が沢山ある。もちろん孫ばかりではない。もうすぐ老境に入る予定の子らの写真も数多い。
こんなのを見るのはやはりよくないなと思ったりする。錯覚を起こしたりするおそれが多分にある。

先般も所用があって、古いアルバムを開いて友人の息子の名前を調べたのだが、もう今は上場企業になっている友人の会社の3代目の社長さんになっているのが、友人と肩を並べて立っている可愛い少年だった。

また大分前の事だが、『喜びも悲しみも幾年月」という名画があったが、その続編の最後の方で死に行く祖父が孫に沢山の写真類を将来害になるからと焼却を遺言する場面があった。孫は言われた通り、砂浜に持ち出して焼き始めるのだが、途中で惜しくなって、火を消して止めてしまう。映画はこの場面で終わってしまった。
現実の世界では、孫には不要のむしろ害悪の遺物かもしれない。祖父のこれらの写真は自分の記憶の中では貴重なものでも、将来に禍根を残すものとの選択は正しかったのではと今更思い起こすのである。

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2006年12月 4日 (月)

私の棲窔

私がこの部屋に寝起きする様になってから丁度20年になる。
私も動物の一種だから、自分に合った穴ぐらを持っても何も可笑しくないと思っている。
年を経るごとに持ち物が増え、蔵書などはもう部屋に置き切れないので、別の部屋や廊下、押し入れなどに詰め込まれている。もう見る可能性のないものは、全部ゴミとして処分した。それでも私の死後の処分が大変だと、家内や娘などがぶつぶつ言っている。
パソコンの周辺機器などは、古くて使えないものはどんどん捨てる様にしているが、まだ使えるものは箱に入れて、ベッドの下や、隣の部屋につぎつぎと押し込む。中には空箱などと一緒に洋服ダンスや本箱の上に置いたものもある。
次女が嫁入りして、空いた2階の勉強部屋の4畳半を利用したのだから、ベッドと机、パソコンセット、テレビ・オーディオセット、それに書物棚3でもういっぱい。
20年間には模様替えも10回は下らない。

そこへこの夏から、応接間のクッションの良い一人用の椅子を持ち込んだ。
事務用の椅子かベッドでは、寝るか仕事かだけになって、ゆっくり身体を起こして新聞や本を読む事が出来ないし、テレビも見られない。
やむを得ずこの狭い空間に大きな応接用椅子を持ち込む決心をしたわけ。一つには応接間が最近来客一人なくて無駄な部屋になり、時折家内が新聞を読むだけの部屋になってしまったからでもある。
狭い部屋がますます身動き取れなくなった。そこで考えたのは、動かすに便利な様にベッドと机以外に全部キャスターを付ける事にした。冬に向ってある日、日曜大工で実行した。
これは我ながら名案だった。
持ち込んだ応接用の椅子は朝に晩に、外向きにして日光浴したり、内向きにしてテレビ鑑賞などに使う。
ちょっとくるっと廻すだけだから、老人の手でも力は要らない。
快心の策と内心ほくそ笑んでいる。

ただ、たった二人だけの家になって仕舞ったこの家も後何年でお払い箱になるのだろう。
一人だけにでもなったら、お化けでも出て来そうで、淋しくて居る気はしなくなるかも知れない。
*タイトルの「窔」はエウと読み、「家屋の東南隅をいう」と漢和辞書にある。従って「棲窔」は私の造語ということになる。Img_0150

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2006年12月 5日 (火)

核家族

ここに来て核家族の弊害が続出し始めた。
子殺し、いじめによる子供の自殺、老人の孤独死などはその最たる現象である。
大家族時代には考えられなかった。皆未然に防止されたはずだ。
その代わり舅、小舅問題は少なくなった。
いずれにしても自然現象に近く避けて通る事は難しい。

孤立した老人は益々物わかりが悪くなる。新しい時勢について行けないからだ。頑迷固陋といわれてもどうしようもない。物を言わんとすればしい語りになり、若いものには受け入れ難い。
余分な口出しは事柄の解決を難しくする。

ここらのことをじっくり腰を据えて理解し対策を考えなければならない。
これだけ文明が進めば、もう覆水は盆に返る事はない。
繰り返すが自然現象として受け入れ対処する以外にない。殊更騒ぎ立てるほどのことではない。

ただお隣の韓国では未だに大家族が維持されていると聞いたりする。
既に日本に匹敵する程度の経済発展を遂げている韓国がどうしてと、不勉強の私には理解し難いのだが、国民性もあって一筋縄では行かないのかもしれない。

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2006年12月 7日 (木)

DVDアルバム13作成

昨日はDVDアルバムの13枚目の作成に一日つぶれてしまった。
今度のは下記のプログラムで丁度合計25時間分である。
作成時間はエンコード4時間,書込み1時間の計5時間かかるところを、最後の書込みでうっかりスリープに手が滑って、エラーになり、最初からやり直す事になってしまった。
年を取るとだんだんせっかちになり、ゆっくりしているようでも、気はせいていてしくじってしまう。
今日再生してみてなかなかの出来栄えで一応満足。
ひまな時間を又一つのんびり音楽を聴きながら過ごせるわけだ。
   _________________________
プレイリスト1
1、R.シュトラウス/交響詩『英雄の生涯」Op40/サイモン・ラトル/ベルリン・フィル  47:26
2、J.シュトラウス/南国のバラ/カール・ベーム/ウイーン・フィル  10:04
3、ショスタコビッチ/交響曲第13番変ロ短調Op113/B:セルゲイ・アレクサーシシン/サンクトペテルブルグ放送合唱団
ユーリ・テミルカノフ/サンクトペテルブルグ・フィル  59:01
4、ショパン/24の前奏曲Op28P:上原彩子 36:22
5、シューベルト/交響曲第3番ニ長調D200/イシュトヴァン・ケルテス/ウイーン・フィル 23:48
6、グリーグ/ピアノ協奏曲イ短調Op16/P:ラルス・フォークト/サイモン・ラトル/バーミンガム響 31:50
7、チャイコフスキー/セレナードハ長調Op48 a ソナチネ形式の小曲 b 円舞曲 c エレジー d ロシア風の主題による終曲/   ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィル  29:52
8、フォーレ/弦楽四重奏曲ホ短調Op121/バルナン弦楽四重奏団 25:27

プレイリスト2
1、黛敏郎/曼荼羅交響曲/若杉弘/N響 15:06
2、ベートーベン/チェロ・ソナタ第1番へ長調Op5-1/C:ジャン・ギアン・ケラス/P:野平一郎 25:02
3、ヘンデル/組曲「水の上の音楽」/ロジャー・ノリントン/ロンドン・クラシカル・プレーヤーズ 28:17
4、モーツァルト/Fl&Haのための協奏曲/Fl:ウオルフガング・シュルツ/Harp:ニカルノ・サバレータ/カール・ベーム/ウイーン・フィル 30:16
5、リスト/ファウスト交響曲/T:プラシド・ドミンゴ/ダニエル・バレンボイム/ベルリン・フィル&歌劇場合唱団 72:02
6、シューマン/幻想曲ハ長調Op17/P:小山実稚恵 29:41
7、パガニーニ/バイオリン協奏曲第2番ロ短調Op7/V:アレクサンドル・ドゥバッハ/ロレンス・フォスター/モンテカルロ・フィル 31:35
8、ショスタコビッチ/交響曲第14番Op135/S:カリタ・マッティラ/B:トーマス・クヴァストフ/サイモン・ラトル/ベルリン・フィル   54:20

プレイリスト3
1、サンサーンス/交響曲第1番変ホ長調Op2/ジョルジュ・プレートル/ウイーン響  29:16
2、アルベニス/イベリア第1巻/P:マルク・アンドレ・アムラン 18:17
3、アルベニス/イベリア第2巻/P:マルク・アンドレ・アムラン 21:48
4、アルベニス/イベリア第3巻/P:マルク・アンドレ・アムラン 19:40
5、アルベニス/イベリア第4巻/P:マルク・アンドレ・アムラン 19:37
6、ショパン&ダグラス/風の精/カラヤン/ベルリン・フィル 27:44
7、ベルリオーズ/テ・デウムOp22/ジョン・ネルソン/パリ管/T:ロベルト・アラーニャ
Org:マリー・クレール・アラン/パリ管合唱団ほか 58:12
8、ホルスト/組曲惑星/サイモン・ラトル/ベルリン・フィル  52:08
9、団伊玖磨/夕鶴より/S:伊藤京子/若杉弘/読売響 08:37

プレイリスト4
1、ベートーベン/ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op73「皇帝」/P:イエフィム・プロンフマン/デーヴィット・ジンマン/チューリッヒ・トーンハレ管 37:42
2、ニルセン/交響曲第2番"4つの気質"/アドリアン・リーバ/アイルランド国立響  32:32
3、ブラームス-シェーンベルグ/ピアノ協奏曲第1番ト短調(管弦楽版)クリストフ・エッシェンバッハ/ヒューストン響 43:54
4、モーツァルト/ホルン協奏曲第2番変ホ長調K417/Hrn:ヨハネス・ヒンターホルツァー/アイヴァー・ボルトン/ザルツブルグ・モーツァルテウム管 13:215、ベートーベン/チェロ・ソナタ第3番イ長調Op69/C:ジャン・ギアン・ケラス/P:野平一郎 27:52
6、ハチャトリアン/バイオリン協奏曲/V:カテリーナ・マヌーキアン/エドワルド・トプチアン/アルメニア・フィル  38:14
7、ストラビンスキー/春の祭典/外山雄三/N響 35:42
8、ムソルグスキー/組曲展覧会の絵/P:上原彩子  34:13

プレイリスト5
1、モーツァルト/交響曲第39番変ホ長調K543/ミヒャエル・ギーレン/南西ドイツ放送響 28:15
2、ベートーベン/12の舞曲/オリヴェル・ドホナーニ/カペラ・イストロポリターナ 19:05
3、 ショパン/チェロ・ソナタト短調Op65/C:ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ/P:マルタ・アルゲリッチ 29:34
4、ブリテン/ピアノ協奏曲Op13 P:レイフ・オヴェ・アンスネス/パーヴォ・ヤルヴィ/バーミンガム市響 35:04
5、ベルリオーズ/交響曲イタリアのハロルド
 1.山の中のハロルド。憂うつと幸福と歓喜の情景
 2.夜の祈りを歌う巡礼の行進
 3.アブルッチの山人が愛人に寄せるセレナード
 4.山賊の酒盛り。前の情景の思い出
Vla:ユーリ・バシュメット/エリアフ・インバル/フランクフルト放送響 40:55
6、ショパン/幻想ポロネーズOp61/P:マオリティオ・ポリーニ 13:17
7、ベートーベン/チェロ・ソナタ第5番ニ長調Op102/C:ジャン・ギアン・ケラス/P:野平一郎 19:37
8、モーツァルト/弦楽四重奏曲ニ短調K421/ウイーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団 28:46

プレイリスト6
1、ショスタコビッチ/交響曲第15番イ長調Op131/ワレリー・ゲルギエフ/マリインスキー劇場管 45:36
2、シューマン/謝肉祭Op9/P:小山実稚恵 24:38
3、シューベルト/ピアノ三重奏曲変ロ長調D898/ボザール三重奏団 36:59
4、シューベルト/イタリア風序曲第1番ニ長調D590/ニコラウス・アルノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管 08:29
5、オネゲル/交響曲第3番"礼拝"/シャルル・デュトワ/バイエルン放送響  29:54
6、R.シュトラウス/交響詩ドン・キホーテ/C:ティボル・デ・マヒュラ/ベルナルト・ハイティンク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管  41:00
7、シェーンベルク/管弦楽のための変奏曲Op31/サイモン・ラトル/ベルリン・フィル   23:24

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富の偏在、格差はこれでよいのか

今日の中国新聞の囲み記事を見ると、「世界の成人人口のうち最も豊かな上位1%が個人総資産の40%を保有する一方、下位50%が保有する資産は全体の1%にとどまる」
とセンセーショナルに載せている。
これらの1%の富裕層は民主主義国に限られているようだが、逆に共産主義国は富の占有はなくても、権力の占有が少数者によって行われている。
世界人民は一応それぞれが敢えて仕方がないと許容して、暮らしている。
どちらにしても、平和の名の下に、なんとか治まってはいるのだが、人類全体の平等という観点からは不安定要因である事は間違いない。既にその限界に達しているかに見える。
どちらにしても限度を超えると爆発する。人工的な要因でなくても、自然の災害などでも容易に爆発する。
歴史が証明している。
現状に安閑としていないで、次善の策を常に考えて置かねばならないだろう。これこそが政治の要諦である。
誰が見ても、世界人類の格差の是正はもう猶予出来ない所に来ている。
しかし当面の責任者国連はいかにも無力過ぎる。

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2006年12月 8日 (金)

あれから65年

私の読んでいる中国新聞が社説に「愚を繰り返さぬために」と題して、日米開戦65年を回顧してその戒めを説いている。
もちろん無いよりは増しな論説ではあるが、何よりも残念なのは戦争の原因を他人事に考えていることである。
私から言わせれば、最も反省して欲しいのは、ジャーナリズムに繋がるものである。
いつも世論を引っ張るのは、この連中である。
軍部の強制、統制にやむを得なかったというかもしれないが、それは言い訳に過ぎない。
私達愚民は軍部に同調した新聞ラジオなどに乗せられ誘導されたのが、あの戦争だった。命を鴻毛の易きに置いて戦った。挙げ句の果てに戦後の疲弊、悲惨をまともに食らった。
愚を繰り返さぬためには、先ず新聞が率先して、自らを抛ってでも、戦争への傾斜を絶えず警告、反対してもらいたい。
通常新聞は巧言を弄しながら、権力者や財界強者などへ協力するものが多い。これがいつのまにかそれらを助長し、国を意のままにあやつることになり、悪く行けば戦争に向くことになる。

愚を繰り返さぬために、新聞は自らを律し、匡し、普段からいたずらな偏重を避けるべきであると思っている。

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2006年12月 9日 (土)

忘れ得ない日

私の86年の生涯に於いて最も印象的なことがらは、何といっても大東亜戦争勃発の日である。
年月日はもちろん時間の推移まで、鮮明に記憶しているものは他に無い。
昭和16年(1941)12月8日、朝8時過ぎ平常通り駒門の廠舎を出発、各区隊毎順次に伊豆方面に向って行動を起こし、途中敵情を想定しながら演習を繰り返して、正午ころ修善寺に達した。

この日は我が関東軍自動車聯隊幹部候補生隊の、全員では教官、助手、生徒を合わせると240名にもなり、使用自動車30台、2週間に亘る富士裾野5合目付近にある駒門廠舎での第1次野外演習の最中であった。
5区隊に分かれ、私は第5区隊に所属していた。

幌のない貨車の荷框に乗せられて、敵情ありしときや、敵機襲来のときは、下車して戦闘準備する訓練を繰り返しながら、御殿場を経て南下した。途中付近の住民が歓呼をあげて、みかんを盛んに投げ込んでくれ、戦時下のことで慣れてはいたが、それにしても少し異常だなと思っていた。

修善寺の川で飯盒炊爨を終わって、付近の食堂に入りお茶の接待を受けながら食事を始めた。
途端に店のラジオで東條首相の甲高い声での演説が始まった。ハワイで日米が開戦したというのである。
険悪な事は知っていたが、とても勝てる相手でないので戦う事はないだろうと思っていただけに、これは先々どうなるんだろう、もう命は捨てたも同然だなと覚悟せざるを得なかった。

食事を終わるとすぐ演習中止が伝えられ、一先ず駒門廠舎まで帰り、その夜6時頃世田谷の学校に帰るべく出発した。
来た時は大磯でキャンプして、120キロの道を2日がかりだったが、帰りは徹夜で一気に世田谷に帰った。
時速10キロの行軍隊列が、夜半轟音を残して延々数キロに亘って田舎道を走り去る光景は、闇の中だけに住民に異様の感慨を与えたに違いない。学校に帰った時は既に長い冬の夜も明け広がっていた。

Departure
Training
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2006年12月10日 (日)

思いつき

昨年の12月8日このブログを始めて満1年経った。
当初から1年もやれば、書く事がなくなるだろうからそれで終わりにしようと思っていた。
ほとんど毎日の様に書いて来られたのは予想外で、自分ながら出来過ぎだと思っている。
日記のつもりで軽い気持ちで書いたのが続けられた理由だろう。
それにしても過去の主な記憶に繋がる事柄はほとんど余す事無く書き記した様に思う。
ただ、現存している人々に繋がる事や、自身のことでも後日に良くない影響があると思われる事は、敢えてはずした。
自分では虚言を弄する事は出来ないのでそうした。
しかし神ならぬ身、事実と思っていても誤認することは当然あり得る。
生きているうちに気づけばもちろん訂正するが、気づかずに生涯を終えれば、後輩に糾してもらう以外に無い。

来年後半には生前葬も計画している。大体死んでも葬式などしてくれるなと、普段から言い続けているのだから、生前葬なるものも当然形ばかりのお別れ会のつもりだ。大袈裟にするつもりは全然ない。
昼の定食程度で、ご馳走もしないし、記念写真ぐらいは取るかもしれないが、滅多に親族が会う事が無いこの頃なので、顔見せと想い出話などで過ごすつもりである。もちろん出席を強制するものではない。

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2006年12月11日 (月)

新イタリア合奏団

昨夜はさくらぴあで新イタリア合奏団のクリスマス・コンサートがあり、家内と二人で出かける。
2000人入る大ホールがぎっしり満員。まさかと思ったが、ソロイストの千住真理子の人気が効いたのかもしれない。
やはり千住真理子の弾いたビヴァルディの”四季”が何といっても一番良かった。イタリア合奏団のよく揃った弦裁きはさすがで、”ヴェネツィアの謝肉祭”や”カンタータ第147番より”などは感銘深かった。カウンターテナーのデーゲルフェルトの”オンブラ・マイ・フ”も素晴らしかった。
ただ後ろの方の席が影響したか、老人の耳のせいかチェンバロの音色が、ほとんど聞き分けられず残念至極だった。
他の楽器は弱音でもよく分かったのに。
マナーの良いこの日の聴衆に答えてか、2度のアンコール演奏に充分満足した楽しい夜だった。
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2006年12月12日 (火)

森脇瑶子の日記

一昨晩音楽会を聞きに行き、早すぎて時間があったので、下の階の図書館に入り、なにげなく書棚を見ていると、原爆関係の棚の中に”広島第一県女一年六組 森脇瑶子の日記”というのが目に留まった。
ひっぱり出してぱらぱらと拾い読みしていると、先ず丹念に毎日書き連ねている日記に気を引かれた。
日記は私も特に最近は丹念につけるほうだから、人のでも関心があるわけだ。
この日記はこの子が女学校に入学した日から、原爆投下の前日即ち昭和20年8月5日までの4ヶ月間の記録である。
気になったので、そのまま手続きをして借りて帰った。

朝から読み始めたのだが、終に行くにつれ感動が募って止められなくなり、午前中掛かって読了してしまった。

彼女は毎日空襲警報に学業を中断されながら、宮島の自宅から朝早く起きて、連絡船や電車を乗り継いで通学した事が、克明に書き連ねられている。途中2回の乗り継ぎがあり、徒歩区間もかなりあり、電車の遅れなどで遅刻したりしたこともある。
後半は勤労奉仕であちこちの作業に追い使われ、7里の道を足を引きずりながら通う事もあった。
そして運命の一日が何気なくやってくるのである。
爆心の下約700米の土橋付近の疎開作業に従事しているとき、家屋を取り払った平地での被爆だから助かる筈は無い。彼女ら一年生の全員に担任の先生など含めて約297名がその命を失った。
夜焼け爛れた身で、トラックで収容され10キロ先の学校で命を引き取るのだが、その詳細が最後を看取られた人の記録など記されてあり、読んだ瞬間の感動は激しく私の心を打った。滂沱たる涙はもうどうしようもなかった。
後日戦地から帰還した父親が帰国の徒次作詞作曲した「娘いとし」の詩など読むと、既に遅かりし悔いに、悲痛というか無念さきわまりない。

人の運命とはかくも非情なものか、今更の如く感ぜざるを得ない。
戦争の悲惨、原爆の悲惨、体験しないものには、どんなことをしても伝わる事はないのではと感ずる。
そして性懲りもなく同じことが繰り返されるのかも知れないのである。
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2006年12月13日 (水)

三隣亡

今朝家内が念のため旅券の期限を調べてみると、明日になっている。
私のも同じ日である。驚いて旅券センターに行き、継続申請をすることになる。
車で家を出て、バイパスに入った所間もなく大渋滞である。
どうしたんだろうと、前の車について行く。15、6分ぐらいノロノロ行くと、パトロールカーに挟まれて事故車が点在している。現場を脇目も振らずに通りすぎる。
雨がかなり降っていたのでスリップして衝突したのかもしれない。
市営の駐車場に入って見ると、今度は通路がいっぱい。4つある駐車場がどれも長い列が出来ている。
今日はどうしたんだろう、運の悪い事よとぐちる。
やっと一番遠い場所に車を入れて、旅券センターまで1キロ歩く。
写真がいるので写真屋を捜して入り,写してもらう。私は歳だから海外旅行は行く事を諦めて,家内のだけにする。
申請手続きをやっと終えて、帰路につく。20日以後に取りにこいという。

駐車場に来てみると、何だか騒がしい。係員に聞くと、只今この車庫の器械が故障して修理中なので,暫く待って欲しいという。そのうちにどんどん客が溜まる。
いらいらしてもどうしようもない。
30分を過ぎて、一文句付けに行く。順番の確認を取って又暫く待つ。それから10分ぐらいしてやっとお呼びが来る。やれやれ。
昔はよく今日は三隣亡だといって、こんなに悪運不運がつづくと嘆いたものだが、思いがけずひさしぶりの三隣亡に行き当たった。

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2006年12月14日 (木)

迷いごと

明日から年賀状受付が始まるのだが、私は今年賀状を止めようかどうか迷っている。
昨年古くからのお付き合い先の一部には、今年限りですからと挨拶してはあるのだが、そちらはいいとして、全部にする勇気がなかったばかりに、ずるずる今年に繋がりそうだ。
毎日死を待っている身には、年賀というのはどうも可笑しいという気がしてならない。
もともと仕事を離れてからは、単なる虚礼という意識に苛まれて来た。
お世話になる事もなければ、世話をすることもない。こちらもさして健康でもないのに元気そうにしなければならない。相手も下手をすると不愉快な賀状と受け取るかもしれない。
就中この年齢になると、身内などに不幸な事が起こる例が多くなる。
やはり今年は口実材料が何もないから、関係の深い親族,友人だけにして後は頬かむりすることにするか。

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2006年12月15日 (金)

師走

やっぱり頬かむりはよくないと、年賀はがきを買って来て、雑誌などの年賀状を参考にして作成する。
珍しくもなんともない、無趣味な年賀状になってしまう。
大体小さい時から、絵を描く能力はゼロに等しいから、年賀状を書く事は昔から一番嫌いな仕事だ。
ともかくも1日掛かって50枚ばかりを仕上げる。こうなるとパソコンさまさまである。
相手の住所氏名を書けばよい所まで仕上げる。
二日もあれば、ボールペンでさらさらと書ける。
家内のも10枚ばかりというから、準備だけはしておいてやる。こちらはスローモーだから、もうすこし切羽詰まらなければ取りかからないだろう。
来年早々孫二人受験があるので、天神様のお札を貰って来る予定にしてある。
1月4日に日帰りツァーがあるので、家内がすでに申し込んだという。
後半月、師走はやはり気ぜわしい。

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2006年12月16日 (土)

献体落選

広島大学白菊会から献体の今年度の登録が抽選で落ちた旨連絡があった。がっかり。
申込者が341名もあった由。仕方がない。もう成り行きに任せるしかない。
運がついてないというか、私はもともとくじ運の悪い男で、およそこの長い生涯でくじなどというものが当たった事はないといってよい。戦場で敵の弾にも何度もかすりもしなかったほどだから、なんでも当たらないのかもしれないが。
だから宝くじなどは何十年も買った事がない程だ。

まさか献体まで抽選するとは思わなんだ。
生前葬も当分考えない事にする。
90歳まで生きておればそれから考える事にしよう。

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2006年12月17日 (日)

チェンバロのこと

新イタリア合奏団のことを書いたブログで少し思い違いがありましたので訂正させて頂きます。
「2000人入る大ホールがぎっしり満員。」と書いたのだが、実際は1095人収容が定員だから、立ち見はなかったと思うから、大分オーバーな言い方でした。申し訳ありません。
イタリア製のチェンバロを輸入販売しておられる野村さんと云われる方からコメントいただきありがとうございました。チェンバロの音は2000人のホールでは無理だ、400人ぐらいが適当なホールの大きさだとの事、よくわかりました。
よく聞こえなかったのが、私の耳のせいではなかったことでは一応安心しました。
それにしても、主催者側ではその様な理解はされてなかったのでしょうか。
その点不満ですね。

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2006年12月18日 (月)

夢かうつつか、まぼろしか

昨夜はなんとも解せない事が起きた。
夜中にふと目覚めると、何かぶーんと音がする。いつもは付け放しのラジオの深夜放送の声音で聞こえないのだが、たまたまラジオのスイッチを切って寝ていたので、深夜のしじまにいやに喧しくひびく。
何だろうととうとう気になって起き上がる。
いつも不使用のときは、スリープさせているパソコンから音が出ている。普段はスリープさすと扇風機の排気音は止まる筈なのにと、覗いて見る。パソコンの表面は真っ暗である。ひょっと表示灯に目をやると、豆ランプがついたまま動かない。通常は呼吸でもするが如く明るくなったり暗くなったするようになっているのだが、同じ状態のまま動かない。可笑しいなとキーに触れてみる。起動しない。
あれっ、可笑しいぞと何度も触れ抑える。全然反応がない。メインスイッチを抑えても駄目だ。
故障だ!
なんで!昨夜使用を終わる時にはなんでもなかったのに。
どうしよう、この忙しい年末に修理に出しても来年になるだろう。今パソコンがないと困るなあ!
まあ、もう一つの古いパソコン引っ張り出して、さしあたり何とかなるか。
あれこれ考えながら、明日のことにするさと、元線をコンセントから引き抜く。

今度はいつまでも寝付かれない。深夜放送も面白くない。
1時間も経ってから、まだ気になるので起き上がって、パソコンの電源をコンセントにつなぎ、スイッチを入れる。
ぶーんと大きな音を立てて起動する。
画面を見ていると、何事もなかったかのごとく普段通りの立ち上がりで,何等の警告もない。
まるで狐につままれた思い。
やっと安心して眠りについたのだが、今朝も変わりはない、ふしぎだなあ!Img_0151

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2006年12月19日 (火)

老人社会

最近家内が電話のベルの音が小さくなったとこぼし始めた。受話器も十年以上も使っているから,老化して鳴り方が落ちて来たのだろうが、耳の方もいくらか老化が進んだようだ。
音量調節は最高にしてあるのだから,此れ以上はどうしようもない。新しいのを買って来ても、果たしてうまく行くか確信は持てない。
目の方もおたぶんにもれず、悪くなる分でもよくはならない。私はパソコンをやってる御陰かまだよいが、家内は拡大鏡のお世話にならないと暗い所では新聞すらも苦労している。

今日たまたま本屋で本を漁っているうち、JRの時刻表に目が行き当たった。
『文字の大きな時刻表」と表紙がなっている。中をめくって見ると、その通り随分大きな数字が羅列して、従来のものよりガラッと趣が変わっている。
今旅行するプランはないのだが、いづれ役立つだろうと取りあえず一冊買うことにした。

やっと気がついたかとの思いに駆られる。もう老人社会もいいとこのこの日本である。
老人に気配りした対策が単に政治だけでなく、一般社会にも求められる様になって久しい。
単に日本だけの問題では終わらない。いまや全世界に長寿は蔓延しつつある。大国のアメリカ、中国などももう長寿国といってよい。
ケータイとかワンセグとか、世は小物志向に走って、若者だけがダーゲットになっている経済界に見えるけど、何か落ちてるのではとハッシとくさびを打ち込んだ感じである。

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2006年12月21日 (木)

騒音

我が家は最近音楽ホールに近い。
二階では私がずっと昔から、一階の応接間では最近家内が、どちらもFM放送やCDを掛け放している。
勿論二人とも好きなクラシックばかりである。
ところが最近耳が段々遠くなった関係上、ボリュームが以前よりうんと大きくなって来た。
時にはどこにいても、家鳴りしてドアやふすまがうなっている。
幸いに冬だから、外部には静かに漏れる程度で迷惑を及ぼす程ではない。
しかし時折の外からの来訪ベルや電話のベルすらも、聞き取れなくなってきた。
昨日も小包を配達に来た人が、窓を叩いて驚かしてくれた。

また時々聞き慣れたメロディが流れて来ると、家内はあれは何だったかと聞いてくる。昔はすぐ題名が出て来たのにとうるさく云いたてる。
近頃のFM放送は、新曲ばかりでなく、昔の曲でも比較的演奏されなかった曲がしばしば放送に取り上げられて、私自身も始めての曲が非常に多くなった。だからCDに録音するのも解説者の紹介も付けて録音するように努めている。
こうしておくと、突如投げかけられる質問も幾分緩和されるというもんだ。

いずれにしても、我が家の老人どもは、今や静寂とは無縁に過ごしている。

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2006年12月22日 (金)

核拡散

北朝鮮は結局原子爆弾製造装置を破棄しないことになりそうだ。
イラクでしくじった挙げ句だから、北朝鮮もタカをくくっている。
相当な代価を支払わなくては納まりはつかないだろう。素人が考えても分かる話である。
韓国もいずれは呑み込まれるか、核保有に踏み切るかどちらか選択せざるを得なくなるだろう。
日本もアメリカの核の傘の下に安閑としてはおれなくなるだろう。
が、どこも今戦争を考えている所はないと思われる。しかし北朝鮮が云う様に外圧に抵抗するにはこの方法しかないことも事実である。
フランスなどはあの小さい国で立派な核先進大国である。もちろん戦勝国側だった特権で持ち得たのだが、どこも文句は云えないし、大国としての矜持を誇っている。
再三戦争を吹っかけたドイツも今はウンともスンとも云えない。そればかりか下手に出て欧州連合を作った。
イスラエルも核をちらつかせて存在を誇示している。
北朝鮮が持ってどうして悪いのだろう。

戦争をしかけたら、何処の国も痛い目にあう。勝ち負けだけでは済まない。
戦争に勝って相手の国を取り込んでも、却って政治がしにくくなるばかりで、よいことは何もない時代である。
戦争が抑止されればそれでよいのではないか。
日本が万一の時に危ないという事なら,スイスのごとく蜂の巣の如く地下壕を全国に張り巡らし、徹底的な防御態勢を築いて、それこそ先の大戦の硫黄島のごとく、攻撃しても大損害を覚悟しなければならないように準備すればよいではないか。
核はもうその拡散を防ぎ様がなく、少数の国だけの所有では収まらないことは目に見えている。
しかもそのあげく、いずれ核爆弾を持つ事が重荷になる時代がくると思うのである。

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2006年12月24日 (日)

無意味な6ヶ国協議

6ヶ国会談は予想通り何等の収穫もなく終わった。
もう核の拡散は防ぎ様はない。
凡そ現核保有国がその保有独占を止め,完全に核関連施設まで含めて廃棄する以外に道はなかろう。
いや、逆に小国といえども核保有を認め、その存在を保証するという選択肢もある。

北朝鮮の頑な態度は、第2次大戦前の日本とそっくりな感じがして仕方がない。
まだ中国、ロシアが後押ししている所が違うが、中国、ロシアももう共産主義国とは云えない。半民主主義国だ。
北朝鮮に愛想を尽かす事は目に見えている。
孤立無援に陥った時は日本の轍を踏まざるを得ない。
瓦解は簡単だ。金さんの正念場だ。

日本は一衣帯水の場所にある。平和を口にいくら唱え、核廃棄をいくら高唱したところで、相手が同意しない以上全く無意味である。
専心防御態勢を敷くしかない。
政治,経済の大都市中心を避け、地下都市建設に邁進すべきである。この小さい国土で、この過剰な人口を守る手だては地下にしかない。100%は無理でも50%の命が救われればよい。
幸いにその建設のための技術,経済力は日本は持ち合せている。
迎撃ミサイルなどに力を注ぐ事などは止めて、対災害大国技術を遺憾なく発揮してもらいたい。
これならどの外国からも文句は出ない。

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2006年12月25日 (月)

世羅高校復活

世羅高校がぶっちぎりで5度目の優勝を勝ち取った。
3区の鎧坂が強い事はかねてから知っていたが、1位に浮上した快走振りには流石に驚いた。
続く4区の清谷の歩足がよく伸びていた、見ていた以上に強かったようだ。
これで来年1月の全国都道府県対抗も、復活の希望が湧いて来た。これら選手の努力健闘を期待したい。
最近は都会育ちの機械的によく訓練されたチームが強く、泥臭い田舎の山野を走り回る野性的なチームが目立たなくなっていた。
世羅などと凡そ何処にある学校か分からないほどの田舎のチームが優勝した事だけでも嬉しい。
しかし外人の力を借りてる所があるのが、ちょっと気になり心から喜べない。
仙台育英が留学生の補強で突如トップに躍り出で、この競技会をあっといわせた。この風潮が今蔓延している。
青少年教育の一環として行われているこの競技の唯一の汚点と感じている私だが、留学生に依存しなければならない今の日本人の力を更に向上さすための刺激剤として、暫くは仕方がない事だろう。
早くこの傾向が払拭出来るようになることを祈るものである。
(写真は中国新聞より借用)Sp20061225014001

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2006年12月26日 (火)

抹殺された大東亜戦争という本

私も随分迂闊な男だと今更ながら反省しきりである。
昨年発刊された「抹殺された大東亜戦争」という本を本日手に入れて読み始めた。
私が戦場から引き上げたのは終戦の翌年6月だから、マッカーサー司令部によって、大東亜戦争の呼称が昭和20年12月15日に使用禁止されていたとは知らなかった。
私は勅令によって戦争勃発直後この戦争を『大東亜戦争と呼称す」と大々的に公式に報じられたことを知っていたので、帰還して後、太平洋戦争とか第2次世界大戦とか、新聞ラジオが呼称するのを訝しく思っては居たが、いわゆる思いつきの新聞用語だくらいに思って気に留める事もなかった。

この本を見ると、日本国民皆殺しにはされなかったが、有無をいわさぬ言論封じが行われ,自由とか民主とか口先だけでは鼓吹しながらも、言論機関は徹底的に勝者側の意向の下に封じ込められていた事が分かった。

軍事裁判なども、裁判官は全部勝者側で構成され、軍事裁判だからそれが当然だと疑問を持つ事もなかったし、日本軍では捕虜を軍事裁判にかけるなどという習慣そのものがなかったと承知している。不利な証拠は隠滅するのが勝者側の古来からの当然の論理である。
いわゆる弁護士側も、不利なる弁論は悉く封印削除されたようである。もちろんぼろぼろになったその速記録などが残されている事がわかったとある。

南京虐殺なども連合国側の特ダネを誇張して、読売報知新聞などに報道させたとの記載がある。
一方的な日本側の戦争犯罪だとの観念を日本人に植え付ける必要があった。
山下、本間などの将軍なども一方的な裁判で、部下の犯罪責任を問うというだけで死刑にしてしまった。
私も一時期山下部隊に所属した縁故があるが、戦場の名指揮官の名にふさわしい人望があった事を知っている。
A級戦犯にしても、果たして極刑に処するだけの、理由があったかどうか理解に苦しむところである。
だから私などは前々から、国民を代表して名誉の戦死を遂げられたのだと受け取っている。
靖国神社に祭られて当然との思いは、小泉首相と変わらない。

戦争犯罪とは何か、負けた側だけが罰せられ、勝った側の犯罪例えばソ連の捕虜シベリア抑留虐待、原爆による無辜の子供などの殺戮などは未だに不問に付されている。反対に満洲の毒ガスなどは未だに損害賠償などの対象とされている。
ハワイ攻撃も軍事地域を狙った純然たる戦闘行為である。米軍の無差別爆撃とは趣を異にしている。
今の日本人は贖罪意識に洗脳され過ぎている。戦争そのものは犯罪ではないことは世界人類の通念である。

私は日本ばかりが悪行を重ねたとは思っていない。国の存立を賭けて戦っただけだと思っている。今後とも国連はこの不合理を糾して行かなければ,世界平和は永久に実現出来ないだろうと思う。
イラクには自国の権益を守るための戦いはしたが、アメリカのいう様な罪はなかったことがよい例である。Img_0153

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2006年12月27日 (水)

イラク戦争の後遺症

イラク戦争の後遺症が起こり続けている。
日本を始め連合国の協力も歯が抜け落ちる様に欠落し続けている。
昔ソ満国境で湿地に足を取られ,もがけばもがく程ふかまにはまって出られなくなったことを思い出す。
凄い怖さである。
米国民は今その怖さを思い知っているのではあるまいか。
他人の悪を憎むあまり、お節介をやきすぎると、こんな目に遭う事はよくあることだ。
アラブの人々だけでなく、同じアメリカ大陸に住む人々も、反感をむき出しにし始めた。
こんなことをいつまでも続けていると、第2、第3の貿易センター事件が又発生するかもしれない。
ブッシュにはテロとうつったかもしれないが、相手側から見たら命がけの復讐である。
目には目をはいつの世にも起きる。
真に平和を希求するなら、面子や犠牲は投げ捨てて、矛を納めるべきだと思うがどうだろう。
そんなに石油権益が欲しいのか経済大国アメリカよ。

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2006年12月28日 (木)

ある交通事故体験

1983年5月14日朝9時を少し過ぎていた。
勤め先の会社への出勤中であった。
愛用のもうかなり古くなったホンダカブで、行列した自動車の左側をいくらか急ぎ気味に走っていた。
始業時刻が少し過ぎていたこともあった。
空鞘橋の袂の交差点の信号が青になっていた。
直進するのだから、一気に交差点に入った。
途端目の前に右側の乗用車が突如左折して、私の眼前を塞いだ。
ブレーキを踏む間もなかった、激突、私の身体は宙に舞った。
やられたっ!地べたにふさった私の目の前に真っ赤な血がさっと映った。
そのまま昏睡した。

ふと痛みを感じて気がついた。
頭の上で何か人の声がする。そして頭がきりきりと痛む。
「気がついたか、もう少し辛抱して」という声が聞こえた。
どこかの病院で頭の傷を手当てしているらしい。
後で聞かされて,十何針か縫ったらしいことがわかった。痛かったのはそのせいだった。
あのまま死んでいれば凄く楽な死に方だったのにと未だにその蘇生の瞬間が恨めしい。
爾来死とは夢よりもっと無の境地だろうと自分流の悟りである。

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2006年12月29日 (金)

今冬の初雪

予報ではかなり荒れる様に伝えられていたので、おっかなびっくりで昨夜は早々と寝床に入ったのだが、幸い殆ど風音もなく静かに夜が過ぎて、朝がいつも通り訪れた。
嘘だったかなと、窓のカーテンを引いてみると、やはり世界は真っ白になっていた。
音もなく降ったらしい。
この地方は穏やかに寒気が忍び寄ってくれたらしい。
ありがとう。北国と違ってなんと素晴らしい初雪風景だろう。
早速我が家の小さな庭先に出てみる。
植え込みが軽く雪をかぶっているだけで通路はすでに融かされている。
それでも子供のごとくこころが揺れる。そぞろ歩き回る。
遅くなったがやはり白い雪が降った。
やっと間に合った。Img_0154
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2006年12月30日 (土)

米寿

今年あたり年貢の納め時になるかなと思ったりしていたが、どうやら後一日となり、このまままた歳を取る事になりそうだ。
昔流にいえば数え年88歳ということになる。いわゆる米寿である。
昔は米は何といっても食物の王者で、人間のもっとも有り難い代物で、宝の代名詞だった。
ところが今はもうけにならないといって、農民自身が持て余している。
従って米寿の値打ちも下落して、米寿祝などをすると寿命が無くなるなどとの迷説が聞こえたりする。
私の母など米寿祝をしてすぐ1年経たないうちにあの世に旅立ち実証してみせた。

私はそれではとその迷説を得手にかざして、米寿祝と生前葬を兼ねての行事を目論んで、三ヶ月前会場を予約したりしたのだが、その意気込みが今になって頓挫しそうになっている。理由は体調が最近特に良くなってなかなか自然には死にそうにないからである。それに申し込んでいた献体が落選して予定通り行かなくなったこともある。

何が起るか分からないのが世の常だから、それを期待する以外にないのだが、寝たり起きたりの日常では、それも無理かもしれない。
本来私は何でも運命のままに行くという主義を通して来たし、今正にそのままに考えが変わる事はない。
明日が知れないけれど、それも面白く楽しい。

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2006年12月31日 (日)

高齢者運転講習

年が明けたらすぐ高齢者運転講習を受けに行かなくてはならない。
運転免許の更新日が迫っていて、法律で決まっていることだから仕方がない。
年内にでもと思って、案内が来るとすぐ電話したのだが、受講者が多くて先方の教習所に空きがなく,講習日は更新期日の2日前という事になっている。
運転は毎日乗っているのだから心配はしていないのだが、目が本来近視だから遠方を見なければならない運転にふさわしいかどうか一寸不安が残る。
先日も気に掛かるので眼鏡屋さんに入り込み、何十年振りかの眼鏡の更新をと思って相談した。
いろいろ検査をしてくれ、乱視があったりして、どう矯正しても遠方は見えない事がわかった。新しく眼鏡を買っても、今使っている眼鏡以上にはならないという。乱視の矯正をしても駄目だというのだからどうしようもない。
パスするかどうか保証出来ないとおっしゃる。
毎日パソコンをいじって近くばかり見ているので、視点が固定してしまったらしい。
二十歳の時から、自動車部隊に入隊し、一から教えてもらって六十年以上も乗回して来た自動車運転も、年貢の納め時かなと思うと、情けなくて生きてる意味がない感じがしてくる。
講習が仮に受かっても、更新の時にまた検査がある。
八卦を引く様なもので、運を天に任せる以外にない。
気の重い年の暮れになってしまった。

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