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2006年11月 4日 (土)

私の戦死した部下たち

私は後悔で時々良心を苛まれることがある。
それも只一つなどというものではない。穿ればいくらでも出てきそうで殊更に蓋をしている思いだ。

終戦の翌年、何とかよれよれになりながらも故国の土を踏んだ。
その時、以下の5名は私の隊の隊員なのに、一緒に帰国することが出来なかった。
作戦中戦病死したからである。
勿論部隊の担当の将校下士官たちが、帰還途中に福岡にて残務処理をしてくれたので、適切な処置は終わっているとは思っているが、それ以来確認もしないで今日に至っている。
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昭和19.10.9 斉藤栄一等兵ー東京都荏原区豊町5-119/花蕚郷板塘にて脚気衝心にて死去
昭和20.7.20 鴨志田武雄二等兵(20才)ー神奈川県高座郡有馬村本郷891/長沙第184兵站病院にて赤痢にて死去
昭和20.8.9 西谷益男二等兵(19才)ー東京都芝区海岸通4-7/広西省全県永和郷沙子湾にてマラリアのため死去
昭和20.8.10 江端時雄二等兵(20才)ー東京都葛飾区本田渋江町246/広西省全県永和郷沙子湾にてマラリアで死去
昭和20.8.31 伊藤武一二等兵(19才)ー東京都目黒区中目黒4-1472/長沙兵站病院にて栄養失調症のため死去
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隊長として、遺族の方にその病死の状況を生の声で何故届けることをしなかったのだろうかとの後悔である。
勿論手許で死を見届けることが出来たのは斉藤栄一等兵だけではあるが、病状だけでも見たことのある西谷、江端の両人についてはそのことを告げなければならなかった。
鴨志田、伊藤の両人は隊に到着前で顔も知らないのだからこれは致し方ない。

戦後私自身が戦火にまみれて、数年は余裕がなかったこともあるが、少しは遅くなっても、その責任は果たすべきだった。
一片の戦死通知だけではやはりむごすぎたと思わざるをえない。
もし万が一にも、前記の住所氏名で遺族の方に、届くことがあればとの思いで、ここに載せる次第である。
61年も経っているので、無理だとは思うが。
未だに無責任だったことを深く恥じている。

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