« 若者よ頑張れ | トップページ | ふるさと(2) »

2006年11月11日 (土)

ふるさと(1)

ふるさとは遠くにありて思うものと諺の如く云われるが、この私もその点人後に落ちない。
本来ふるさととは生まれ育った土地を云うのだが、私の場合いささか趣を異にする。
法的には本籍地が通常ふるさとになるのだが、考えて見ると私はメキシコで生まれ,3歳までその地にあった。18歳から遊学,20歳から満洲に就職,引き続き軍隊に入り、復員後直ぐ上京、27歳やっと本籍地に帰った。
44歳のとき仕事の関係で広島市に移住、爾来同市内を転々として居る間に縁あって,現在地に土地を購入し53歳の時自宅を建築して移り住む事になった。
従って本籍地に居たのは前半15年,後半14年の29年間である。現在86歳だから57年間は本籍地を離れていたことになる。それでも意識としてはこの本籍地が私の場合ふるさとである。
現在地が33年間住んでいて一番永いのだが、ふるさとであるとの意識はまるでない。なにか仮住まいのような気持ちで、尻が落ちつかない。当然この土地の人々との交流も未だに他人行儀である。
もちろん原因は私だけのせいではない。この部落一帯は戦後かなり経ってから造成され、戦前からの住人は数えるぐらいしかいないし、殆どが他所からの移住者である。
言葉こそ同じでも生活習慣生業が皆違って、なかなか融け合い難い。
それに現代風の核家族の集まりで,お互いの干渉を許さない時代であるから尚更である。
懐かしいなど言うのは昔の事をいうことばで、当然私の場合も本籍地を離れる以前の事が殆どになる。
就中物心がやっとついた幼年、少年時代が一番ふるさとに近い。記憶は薄れたが、忘れ難い思いが絶えず脳裏を去来する。
「十二灯」「おこもり」等という言葉は,今はもう完全に無くなったと云っていいし、何の事か分かる人はほとんどいないだろう。郷里に帰って聞いてもほとんど知らないだろう。
郷土の先輩に山崎武夫さんという教育者が居られたが、その労作に「ふるさとの歴史」というのがある。
それを読むと、私と同時代の懐かしいこれらの行事が詳細に記述されている。
昔は学校教育とは別にこれらの幼少年独自の地域的切磋琢磨が行われていたことがよくわかる。読み書きは別としても社会生活への歩み出しの知恵はその多くはこうして教えられ育って行ったといえる。
親は無学に近く、読み書きすら教える事はなかった。それでも子供は結構学校へ行く前から,字を覚え本を読んだ。そして小さいながらの生活の知恵を学んだ。
兎こそ追わなかったが、小鮒は手に余る程取れたし、ほとんど鶏の餌になった。兎や鶏を飼うのは子供の仕事でもあった。
これこそが私のふるさとだった。

|

« 若者よ頑張れ | トップページ | ふるさと(2) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/12640272

この記事へのトラックバック一覧です: ふるさと(1):

« 若者よ頑張れ | トップページ | ふるさと(2) »