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2006年11月 5日 (日)

忘れ得ぬ人々(27)

三村英次郎

私の小学校の同級生の婿さんである。
三村さんと関係が生じたいきさつははっきりしない。ただ奥さんが同級生だから、親しく話し合いしているうちについでに、ごく自然に親しくなった様に思う。
昭和30年の日記帳をみると、税務署がきびしくなったので、帳面をちゃんとこしらえてくれと頼まれ、ある日夜遅くまで掛かって整理して上げたと書いている。
この頃がきっかけで青色申告を手伝ったりし始めたようだ。
それ以来毎年の如くしばらく手伝っている。
昭和32年私が知人や先輩と百貨店を作るから加入しないかと働きかけたところ、奥さんが勧めたりして発起人として加わることになった。
翌年10月1日開店時から営業部長として、会社の中心となって仕事をしてもらうことになってしまった。
もちろん他の重役たちとの交流も最初からうまく行った。彼の識見、人間性が皆に受け入れられ信用されたことに他ならない。
私自身も個人的に付合っているうちに彼の人間性に魅せられてしまった。
問屋など取引上の関係でも実にスムースに行き、人に信頼される素質があったのではあるまいか。

百貨店は当時中小企業連盟などが発足したりして、猛反対を受け、世論を無視しての出発だったので、通産省の不許可処分を受け、銀行などが手を引いてしまって、3年足らずで倒産してしまった。

彼も私も後始末にさんざん苦しんだが、いつも手を取り合って善後策に力を尽くした。仲間が鬩ぎあうなどということは一切無かったのは、やはりそれぞれの人間性の良さに帰結する所が多かった。
最終的には10年ぐらいかかったが、皆いい人生勉強をしたと悔いを残すことは無かった。

30年後の平成2年に、旧重役従業員が集って懇親会をつくり、往時を懐かしんだりしたこともある。
彼からは絶えず声を掛けてもらい、私が他の企業に勤めることになっていても、いろいろと援助を惜しむことなく、また相談を持ちかけてくれたりした。
残念ながらその2,3年後体調をくずして入院などをくりかえし、平成6年8月31日脳出血で急逝してしまった。
私から見れば少し先輩の正に格好の相談相手であったが、惜しい友を失った悔いは未だに残っている。Mimura
Mimura2

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