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2006年11月26日 (日)

母親

最近は幼児の殺害がちょいちょい報道される。少子化対策などと声高く報道されるのにも拘らず、一方ではそれを無視する如く、親が実の子を飢餓状態に放置したり、打擲を加えて死に至らしめるなど、凡そ人倫を外れた所行も多い。
どうしてこのような状態になったのか理解に苦しむ。
こんなことで平和などと言えるのだろうか。

私は8歳の時、4つ下の弟を肺炎で亡くした。
従順な丸まると太ったよく気のつく元気な弟だった。母の気に入りで妬ましいくらいだった。
ふとした風邪で寝込み、急性肺炎と診断され、医薬の進歩していない時代だから、とうとう命取りとなってしまった。

この時の母の狂乱振りは忘れられない(当時父はメキシコに居て留守だった)。
医者が頼りないと思ったか、他人から鯉の生き血を呑ますとよいと聞かされ、近所の薬師院の池の鯉を所望し、そんな殺生は許されないと断られると、部落中をあちこち捜し歩き、漸くあるうちで分けて貰い、急いで帰宅して生きてて暴れる奴を包丁で刺して血を抜き、呑む事も出来ない弟の口を引き開けてそそぎこんだ。血に咽んでこぼれて真っ赤になった枕元は流石に無惨だった。
こうした母の必死の願いも結局空しかった。もちろん私も母と一緒に号泣した。
しかし母の子を思う姿の恐ろしいまでの、何者にも代え難いとの思いが、小さかった私の胸にもひしひしと強くつたわった。
そこへゆくと現代の風潮や、同じ親としての情愛の薄弱さはどうしても信ずる事ができない。
どこが原因でこうなったのであろうか。

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