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2006年11月13日 (月)

ふるさと(3)

大正15年の4月に小学校に入学し、12月に昭和元年になった。
昭和4年春、父がメキシコから帰国した。
大きなオートバイが一緒に我が家にどっしり置かれた。見た事がない代物に仰天した。
広いアメリカ大陸ならいくらでも乗りこなせるだろうが、狭くて小さいまだ舗装もしてない日本でこんなもの乗ることは困難だった。ハワイ帰りの近所の村本の若い衆と、いじくったり試乗したりしていたが、そのうち消えてなくなった。私の知らぬ間にどこかに売ったのだろう。
3歳のとき母など置いて再渡航したのだから、全然覚えていない人だったが、親爺がいるということは頼もしく嬉しかった。
野球道具を買ってもらって、因循で本の虫だった私が俄然元気になり,積極的に運動をやり始めた。
権現様の祭礼準備など、次第にリーダー格になって、部落の悪道どもを引き連れて行動する様になった。
前回述べた『十二灯」や「おこもり」「山登り」など部落行事には先頭に立って働いたことをよく覚えている。

父が帰国して間もなく朝日新聞を取る様になった。本好きな私は熱心に読み,字を覚えた。当時の新聞はよみがながついていたので、大抵の文字は読むだけなら問題なかった。
間もなく昭和恐慌が押し寄せて来て、昭和6年浜口首相が暗殺されたのを皮切りに、翌年井上蔵相、団琢磨が相次いで暗殺され、5月には犬養首相までが海軍軍人の手で殺害された。
同じ頃満洲に火がついた。ぼつぼつ近所の若者に赤紙が来たりした。
小学校から中学校への過程では、子供だからといって、関心を持たざるを得ない事柄が続出した。
いやでも時局に目を向けさせられた。
小学校卒業時には先生は軍人になれと私に勧めたりした。体力も精神力も卑弱だった私は尻込みするばかりで、とても先生の期待に応ずる訳にはいかなかった。がいずれは国家に殉ずる道を歩む事になるなとの決意は新たなるものがあった。

中学生になったころは、1里の道を朝晩通学するのに疲れて、家の事,部落の事など次第に手を抜き、構わなくなって行った。国家のこと、世界の事がいやでも耳目を騒がせた。ふるさとに対する意識も次第に希薄になって行った気がする。
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