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2006年10月24日 (火)

日中戦争  中国も同罪だ

文芸春秋11月号に「日中戦争 中国も同罪だ」という中国人趙無眠の論文が載っている。
膨大な論点を持った論文だから、一口では説明も批評も私には出来ないし、それだけの見識も持ち合せていない。
しかしこの論文の中で、自分が体験した部分については、はっきり肯定出来るものがある。
少し引用してみよう。
『李宗仁は回顧録の中で、抗日戦の期間、彼は河南で地元の人々が『敵軍に焼き殺されようとも、湯軍が駐留するよりはまし』と歌っているのを聞いていると書いている。湯軍とは、蒋介石直系の湯恩伯が率いる部隊の事である。
 抗日戦争に勝利した後、被占領区のなかには、中央を思い、中央を待っていたが、中央が来たらもっと災難だったと農民たちが歌った地区もあった。これを見る限り、彼らは侵略者に苦しめられるのと同時かその後に同じ様に同国人からも苦しめられたのである。そんな彼らに、高説などもはや通用しなかったのだ。』

私も湖南省湘潭県花蕚郷に約5ヶ月駐留していたとき、軍から区域の宣撫を命じられ、花蕚郷のほとんど全域に亘って、兵を派遣したり、施薬などの行為をして、住民の懐柔に努めた。
友軍通過部隊の集団的略奪を阻止したり、個人の略奪を返還せしめたりしたことが何度もあった。時には鉄拳制裁を加えて物品を返還させたことすらある。
このことは彼らには驚きであったのか、予想外の協力を得るのに役立ったと思われる。
池本兵長などは単身区域を巡回して、住民と親しくなっただけでなく、市場のボスと義兄弟といわれたりしたこともあった。従って被害を加えられるような気配は皆無であった。
又最後には隣県の花石県の知事からの使者が訪れて、こちらも宣撫して欲しいと依頼を受けたりしたこともある。
どうやら私の隊を1個の軍閥かのごとく感じたらしい。
彼らで見れば、自国民であっても苛斂誅求をする軍閥にははっきり抵抗していたわけである。

終戦後この地を通過する際、夜かなり遅かったにもかかわらず、住民の歓待を受け、地元の顔役たちから、日本はもう負けて、国は無くなっている。何とでもするからこちらに残れと本気になって口説かれた。
日本軍隊の組織を知らないものの言だからもちろん取り上げはしなかった。
ところが後日、軍隊として国民党軍に加入したり、共産軍に加入したりする事態が起きたことは周知の通りである。

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