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2006年9月25日 (月)

敬老と死

戦争という大量死生産の手段が遠のいた以上、人口増加の勢いは止めようがない。私は戦争は人類の必要悪とさえ思っている。ただ戦争も戦う力の乏しい老人には高みの見物の役割しかないだろうが。といって平和が人類すべてを幸福に出来るのだろうか、私の脳裏にはいつも疑問符が点滅し続けている。

一方痛みさえ伴わなければ、自分の意志で自分の始末をつけたいと、思っている人は相当いるのではないかとも思う。
合法的に自由に死を選択出来る様、制度化出来ないものかとさえ思われる。

一旦死を決意した場合、失敗は許されない。ただ物笑いの種になるだけではない。後遺症など残ったりして、意識能力でもなくなったら後が大変である。
確実に死に至ることが大切である。

生命も一つの物として、科学的に処理する時代に向かうのではないかとも思う。

明治、大正の時代ならいざ知らず、核家族時代のしかも間もなく老人が人口の四割を占めんとしている現今、敬老の日などという実態の乏しい、言葉のみの空しさが感じられるのは私の僻みだろうか。
安楽死の手段とか、死に前向きな議論をもう少し積極的に報道メディアで取り上げて欲しい。

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