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2006年8月 1日 (火)

空から見る地図

今は衛星から四六時中地球の表面を眺めている人が沢山いて、珍しい事でなくなっているようだ。
私もひょんな事から、その仲間入りが出来そうになった。
きっかけは満州国新京の古地図の話をしたことからだった。大戦が済んだと同時に消滅した国の首都であった、その地図を観光旅行で現地で買って来た事を思い出し、ブログに載せたのを見つけた人がいたということからだった。
その地図の写真を提供した事から、衛星写真を眺める様になった。
物好きだから、今は行くにも行けない、初年兵として入隊した関東軍の自動車第3聯隊の駐留していたソ満国境の斐徳を何とか探し出す事が出来た。当時省都であった東安市はMishanと名前を替えて(というより元の名前に還った)、かなり大きな街になっているようだ。市街が格段に広がっている。
そこから10キロばかり東に斐徳がある。現在の名前は表示がないからわからない。
しかし道路や鉄道線路の関係で、4年も住んでたところだから見当がつく。
平原と湿地の中に忽然と出現した、日本軍の兵舎群のみが点在していた。
湿地の向こうに当時のソ連邦を遥かに睨んでいた。直距離で40キロあるか、なしかであろう。

昭和16年6月独ソ戦が開始されたときは、動員された兵力は百万といわれた。
火ぶたは切られなかったが、その気になっていた我々はじりじりして待機していた。
結局日本は日ソ不可侵条約を信じて、その年の末に英米と戦火を交える事になった。
結果論になるが、日本がドイツに加担して,条約を破棄して,ソ連と開戦していたら局面は大きく変わっていたことだろう。
ともあれこの斐徳も市街地化し、湿地を貫く道路もかなりの数出来、部落も散見される。
湿地は5、6月には凍土が融けて一面の湖水になるのだが、その対策はどうなっているのだろうか。
上空から見た地図ではそこらあたりまでは私にはわからない。Hitoku_1Mishan

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