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2006年8月19日 (土)

宗教と音楽

ブログを始めてから足掛け9ヶ月になる。殆ど毎日書いているからこれが242回目ということになりそうだ。
毎日が日曜日の老人には、退屈しのぎにはもってこいなのだが、流石にこの暑さには頭の中まで煮えてしまって,新鮮さがなくなる。
もうぼつぼつお開きにしようかと思って,一応念のためアクセス数を調べてみると最近4ヶ月で1900件にも達している。一日平均20.1とプロバイダーがはじき出している。単純に当初からをはじくと5000件にもなる。
あまりの多さに目を疑った。
各項目の訪問数は平均70%とあるから、これは簡単には筆を折るわけに行かないかなと、怖じ気づいてきた。

念のためにgoogleでsinomanを検索してみると、のっけから何項目も抽出されている。
ほんとは大東亜戦争勃発の日即ち12月8日から始めたので、終戦の日8月15日に止めれば区切りがいいと思ってたのだ。もちろんいつの年のこの日でもいいのだが。
今更引き下がるわけにも行かないから、肚を据えて勉強し直すことにするかと、新しい手習いを始めることにした。

前置きが長くなったが、実は今朝から横になりながら、ベートーベンの「荘厳ミサ曲」のDVDを聞いた。
いつか準・メルクルがN響を指揮して、FMで放送したものをDVD録音していたものだ。
なにせ82分の大曲だからときどきうとうとしながら、それでも最後まで堂々として曲名通り荘厳な凄い曲だなと思いながら聞き通した。ショスタコビッチなどの様に素人耳には時にいやになる様な音の響きが全くないのがよい。

ベートーベンもキリスト教文化の担い手の一人であることは言うまでもない。音楽に関する限りキリスト教を抜きには考えられないことは、実は内心残念で仕方がない私である。
仏教、儒教、イスラム教、その他もろもろの宗教文化の中で、音楽に関する限りキリスト教が傑出していて、他の宗教は音楽をその布教の中に織り込む知恵がなかったと見える。
もちろん善い悪いをあげつらうつもりは毛頭ないが、なぜキリスト教のごとく音楽を取り入れることをしなかったのだろうか。どんな民族でも音楽と無縁で暮らす生活はありえないのに。
元来無宗教を自認している私だが、どれか一つは宗教を信じろと強制されれば、やはりキリスト教ということになるかもしれない。結局ご縁がまるでなかったが。

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