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2006年8月20日 (日)

中国の南岳

昭和19年秋、中国湖南省は雨季に入っていた。連日の雨に道路は泥濘化し、場所によっては回りの田圃以下の高さにえぐれていた。
幸い敵の空襲は悪天候に遮られてとみに減ってはいたが、我が自動車隊はこの道とは言えない悪路を難行苦行していた。
当時衡陽の死闘を終わり、第1線は広西省になだれ込んでいた。
易俗河(湘譚県)ー衡山間の輸送を受け持つ我が部隊も第11軍から統集団隷下に編成替えになっていたと思う。最後方の部隊となったので、比較的に余裕の出来た日々が続いていた。

私の隊の第2分隊が9月10日から衡山の黄花坪に修理場を開設していたので、私は再三この地に業務上赴いていた。
衡山の街は湘江に臨み、かなり大きな市街であり、十キロも離れていない所に南岳鎭の市街があった。当然の様にここを訪れた。(衡山は別名南岳といわれ中国五岳の一)
南岳大廟を中心に伽藍が櫛比し、戦争中とは思えぬほど人の往来も激しく門前町は賑わっていた。
街外れから南岳を仰げば,点々と由緒ありそうな仏閣などが山腹に遠望された。

私は勤務中なので、せいぜい食欲を満たす程度で引き下がる他は無かった。
当時ここに方面軍司令部が置かれていた。当然日本軍の兵士も数多く群れ歩いていた。

今度この地方の事が知りたくて、なにか良い本か地図がないか捜していたところ、中国国家文物事業管理局編「中国名勝旧跡事典・中南・華南編という本が手に入った。
内容を見ると、やはりこの南岳のことが詳細に説明されていた。
中国五岳の一で周囲数百里、72峰あり、遠く西暦2300年前舜が訪れ,禹が治水したというのだから、その由来は桁違いといえる。
主峰の祝融峰は1290mあり、仏寺、旧跡も多く、日本の仏教僧の往来もあったと記載されている。

かって訪れたとはいえ、こんなに凄い旧跡とは思いもよらなかった。
もう少し早く気づけばの悔いが残るが、知らなかったよりは良いと自分を慰める。
終戦後、帰還途中ここの警備隊が敵の包囲攻撃を受けていたのを救援したことも何かの縁であろう。Img297

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