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2006年7月 3日 (月)

忘れ得ぬ人々(19)

執行一君

最後はほんとに茶化した人生だった。彼に評価を与える事はこちらが可笑しいのではと思われるくらい迷いそうだ。
小学校は同じクラスで、小柄だが、才智に長け、なんでも積極的で、運動神経も抜群、野球チームのショートかセカンドとチームの要であった。勿論先生の覚えもよく、小学校卒業成績は一番だった。

その彼がどうしたのか、中学校に入るやどんどん成績を落とし、全く目立たぬ存在になってしまった。
私もほとんど同じだったから人の事は言えないのだが、大人への成長過程の智的、身体的変化に順応しきれなかったとも言えそうだ。私のことで一例あげれば、声変わりがある。美声で小学校ではいつも学芸会などで独唱し、親共々自慢の種だったが、1年の何時の頃か声が出なくなり、出始めた時にはまるで違った自分になっていた。
執行君もおそらく、大きな変調に驚いて、積極性があるだけに余計に、茶化した方向に自身の行動を転換したのかも知れない。
ふざけた事を言い、ふざけた振る舞いをし、最上級生の時にはまるで秀才とは言えない、クラスの野次馬的存在となっていた。クラス最下位だと公言していたので、事実だろう。当時は通知表(成績表のこと)にクラスの順位が明記されていたので、誰にも分かった。おそらく更なる勉強に嫌気がさし、上級学校にもまともな所には行かなかったのではと思う。

戦後のいつごろか、気がついた時には薬屋を開いていた。何年かすると税務署がうるさいからと、自己破産をして店を閉じてしまった。しばらく行方不明になってたかと思うと、病院経営に頭を突っ込んでいた。もちろん彼からの説明である。そこから手を引くと今度は土地の売買をやり始めた。私の会社の社長にも突然勧めたりして、あれは何者かとこちらまで不審がられたりした。この時は他の同級生も引っ掛けられたりしたらしい。
山口県田布施に「踊る神様」という宗教が一時期アメリカまで布教したりして著名だったが、そこへ入門を企て、教祖にあってその竒行に驚いた話などとくとくと語ったりした。結局これは止めたらしいが。

そのうち東京に土地を買い引っ越してしまった。
時々現れて今度は世界各国を旅行し、世界の情勢を説明したりした。絵画が儲かると言って、無名作家の絵をスペイン辺りから沢山買って来て、買わないかと見せびらかしたりした。
タイで終戦を迎えて、現地人の中に逃亡した友人に会ったりして、貿易斡旋みたいなこともしていたようだ。
とにかく神変万化私には予測出来ない世渡りであった。
友人間の個人情報の普及能力は大したもので、私の事業倒産などは私自身より早く友人間に流布されていた。予知能力が素晴らしく、事業を始めた途端倒産間違いなしと読んだらしい。
あの男がこんなことをやり始めたが、あの性格では続くわけが無いなどと批判し、その通りになるなど判断は正確だった。
友人間はもちろん交際範囲の広さは想像を絶した。上京しても連絡するとすぐ関連先の友人などをかき集めて会合を開いてくれたりした。小学校時代の知恵才覚は一向に衰えてはいなかった。自らお茶ら化した傾向はあるが。

私の日記帳には度々現れる人物の一人でエピソードには事欠かない。
が、昭和63年10月4日肝臓がんが悪化転移し、あの世へ旅立ったと数ヶ月後に奥さんから知らせをいただいた。
Sigyou
Sigyo

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