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2006年7月 2日 (日)

忘れ得ぬ人々(18)

松本勲君

君子という言葉がまだ存在するなら、すぐ彼だと思い浮かべるほどぴったりの男だった。
イントネーションに出雲弁がにじみ出る、独特のしゃべり方が終生抜けなかった。

同じクラスで3年間十分親しく付合って頂いた。それでもちゃんと正確に私の姓を君付けでいつも呼びかけていた。
通常友達同士ではあだなで呼ぶのが普通だったから、彼の几帳面な性格がここにも現れていた。
在学中は剣道部に所属していたが、強かったかどうかは知らない。しかしその端正な物腰と礼法は武道修行者そのものであった。
彼との交流でもっとも印象が強く残っているのは、2月に(26、28日)このブログに2回載せている萩行きである。彼の人となりはこれを読んでもらえば、よく察しがつくであろう。
同窓会などで会う度に、この話が飛び出して、とうとう死ぬるまで忘れ得ぬ話題となってしまった。
常時顔を合わせていると、空気や水と同じく、存在をことさら意識することはない。
ほんとに無二の親友として学業を終えた。

卒業後は彼は内地の会社芝浦電気へ、私は満洲鉱山へ就職したので、完全に袂を分かった。
兵役がお互い5年以上あった筈だから、戦後会ったのは1970年6月6日の同窓会で卒業以来丁度30年振りであった。
もちろんお互い戦争をくぐり抜け、元の会社は無くなったり、組織替えしたりして、新規撒き直しに懸命の時期だった。彼は既に中国電力に入社していたと思うし、私は小さな自営業に苦戦していた。しかし相変わらずの彼の友情の深さが私を励ましつづけた。
彼は持ち前の篤実さでぐんぐん頭角を現し、途中入社に拘らず要職をかち取った。社内の評判もよかったらしい。

同じ広島に住んでたので、学生時代の交流が復活して、ちょいちょい出会うことになった。
他の友達も数多くいたので力を合わせて相談する事もますます増えた。
再会後も毎年実施された同窓会にもよく出席し、健康を祝し合った。
停年後彼は郷里に引っ込んだが、忘れずによく広島にやってきて、長寿を謳歌し、仲間たちと一緒に気炎をあげたりしたものだ。
が、残念ながら、昨年5月19日持病の高血圧の悪化でとうとう一足先に旅立った。Matumoto

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