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2006年7月 7日 (金)

忘れ得ぬ人々(22)

村岡秋生君

地元では、最近まで知らぬものはいなかっただろう有名人である。
歯医者をやりながら、若くして政界に打って出て、市議会、県議会議員を永年勤め上げた。
即ち昭和55年の市議選で35歳で初当選して以来、引退は何時だったか、郷里からも彼からも遠ざかっていたので知らないが、40年は優に超える議員生活だった。

小学校の最初から一緒だったが、ませていた彼はいつもクラスの先頭を切って動き回っていた。
所謂出しゃばりである。2、3年生の頃クラスの悪道たちから妬まれて、教室の中で手ひどい制裁をくらったことをまざまざと憶えている。それでもひるまずにその出過ぎた行動を変えなかった。

学業はまずまず上位で小学、中学とこなし、歯科医を志した。この頃には道も違ったが、相変わらずのモダーンぶった彼の行動には、私は付いて行く事は無かった。

戦後彼が歯科医院を開業し、私も軍隊で歯を悪くしていたので早くから彼のお世話になる事になった。
人を笑わせたり、機嫌を取り結ぶ技術は、彼の天性というべきもので、小さい時の延長線上にあった。
昭和55年には市議会議員に立候補するからと頼まれ、依然から後援していた地元の先輩との板挟みになって困ってしまい、とうとう私は転居して地元を逃げ出した程だった。

それから何年も毎年正月に自宅に招き合って年頭の宴会を催すことを常とした。数年でお互い忙しくなって日取りが合わなくなり、自然消滅になったりしたが。

行く道が違い過ぎて後年は同窓会でたまに会うか、選挙の時に思い出すかだけになったが、どうしているかいつも気になる存在ではあった。

何時引退したか、前記した様に私は広島に生活の場を移していたので、よく知らない。誰かに聞いたことがあるようにも思うが失念した。何時頃か同窓会にも姿を見せなくなった。
昨年こちらに住んでいる、小学校の同期の女性から、村岡さんが入院していてあまり良くないらしいよと、手紙をくれたが、こちらも寄る年並で人の事まではと思っているうちに、誰からとも無く亡くなったと聞いた。

私に取っては付き合い始めが、印象的であり過ぎたので、終わりはろうそくの火の如く淡く消えて行った。Muraoka
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Muraoka5

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