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2006年6月15日 (木)

忘れ得ぬ人々(10)

中川安一先生

麻里布小学校5、6年のとき担任だった。
私たち一組の56名の子供の大部分にとっては怖い先生だった。後年の同窓会にていつもその述懐を聞いたもんだ。
騒ぐと竹のねぶちの鞭が容赦なく頭に下った。忽ちこぶの山脈が出来上がった。
幸い私は一度もそれを食らった事は無い。優良な生徒だったわけだ。
メンタルテストが全校であって、私は抜群の成績をあげ天才ではないかと言われたりした。
この意識が災いした。上級の学校に進むに従って化けの皮が剥がれて行った。
しかし、先生や親はその意識を捨てきれなかった感じが強い。
後年人に騙されて財産を失い、事業を始めても肩入れしてくれた先生を裏切り、倒産したり破産寸前まで行った。
勿論先生にも金銭的に損失を掛けた。

結果的には良い思い出は少ない。
しかし先生は異常な程よくしてくれた。子供たちの頭を刈ったり、遊び道具を時間掛けて作って、みなにそれを使って遊ばしたり、十数人の子供らを自宅につれてゆき、ご馳走してくれたり、又他の小学校のグランドにまで連れて行き野球などの練習をさしたり、ほんとに熱心な指導者であった。
当時流行した小学野球にも熱心で、他校を招いて練習試合を度々行ったりした。
強いチームにはなれなかったが、わたしも選手の一員として何度も出場した。

また音楽にも熱心で、ピアノやクラリネットはうまかった。また歌声は実に美声でほれぼれするほどだった。よく教室で歌ってくれたものだ。
怖い原因は芸術家気質の感性の強さにあったらしい。

私は大好きな先生だったし、その清廉潔白さには孤高の姿を感じ、亡くなるまで尊敬の念を抱き続けた。
卒業時に君は将来軍人になると良いと言われたのだが、怯懦な性格は治し難いと自覚していたので、その意には従わなかった。
が、結果的には徴兵検査で軍隊に入り、将校になって軍人としての経験を半ば強制的にもつことになった。
自画自賛になるが、部下たちには戦後も忘られる事無く、アルコール燃料では司令官の褒賞を受けたり、先生の予感が当たっていたのかなあと思ったりしている。53nakagawaGantyuiri

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