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2006年6月23日 (金)

古い戦友のたより

先日も書いたが老いるともう思い出しか楽しみは無い気がする。
そして日記などを読み返して、そのときの状況など思い返して、映画のシーンになぞらえる。
特に戦争体験、捕虜体験などは特異な経験だけに新鮮さが残る。
昭和24年の10月6日の日記にはこんなことを書いている。
「ひどい雨ではないがここ数日続く雨に家のなかまでじめじめして気持ちが悪い。僕の部屋なんか、それでなくても北側にあるので、すっかり黴臭くなってひどい臭気だ。
今日は八幡宮の例祭。雨にたたられて事にならないが、それでゆっくり休めるだけが有難い。
大井駒二君から2、3日前叉手紙が来ていたが、よく忘れずによこすと感激する。戦争中の事は何もかも忘れたい。特に対人関係は全部白紙に帰したいと強く思い、その積もりで文通も全部止めてしまっているのだが、三年後の今日も忘れずによこしてくれるのをみると、やはり嬉しい。」
とある。

戦争を忘れたいなどと書いたのはその痕の悲惨さがただ事でなかったからだ。人も我も絶望に目がくらみ、死の幸福に思い縋っていた。
戦争中終始伝令役をしてくれてた大井君など、私の身辺に連日へばりつくようにして行動していた者には、忘れられない対象だったのであろう。
彼とは後日上京する機会が増えてしばしば会う事になった。
もう一人私の当番をして個人的な世話をして呉れてた浅川孝君とは、必ず彼の勤め先の日本橋のレストランに上京の都度一回は食事に行っていた。そこのマスターとも親しくなった程だ。
この浅川君は一時栄養失調で下痢が止まらなくなり、本人は嫌がるのを無理矢理に易俗河の兵站病院に入院させたことがある。一緒について行き必ず治して帰れと男泣きして別れた。留守宅の姉さんにも手紙で細かい経過を送ったりした。翌年4月武昌で彼は元気な姿で帰って来た。そして一緒に帰国した仲間だった。

東京滞在が4、5日になるときなど、近在のものをここに集めたりしてくれたものだ。
その二人も数年前に相次いでそれぞれの訃報を頂いた。
悲しいけどこれが人間の宿命だ。Asakawa
Kyujomae
Tokyo_tower_1

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