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2006年6月 2日 (金)

懐かしい地図

私は中学生の時、地理の先生にえらく誉められた事がある。
クラスの皆の前で、試験の成績が抜群で、100点ではもったいない、110点つけてもよいぐらいだ。ただ100点以上はないからしかたがないがと。
昔の試験は問題一つについて、知ってる事を記述せよ式の問題で,現在の様な○×式ではなかったから、求める回答以上に書いていたという事である。
地図は生来好きで、日本であろうと外国であろうと、ありさえすれば飽かず眺め暮らす事が多かった。
幼年期には地球地図で太平洋に大きな島が隆起し、日本の国土が突然広がり、いろいろな名前を付けて,山川を表示したり、南洋委任統治の島々も大きな大陸になったりしてと、空想をたくましくしたもんだ。
確かに他の子供と違っていたので、年下の子供以外遊ぶ相手は少なかった。

昨年満洲に行った時、長春の旧ヤマトホテルを見学した際、その売店で新京時代の地図を売ってたので買って来た。
単なる土産のつもりだから、中を改めもしなかった。ただ地図と言われただけで欲しくなったのである。

帰国してちょっと開いてみて、昔の青写真が黄変した様なものなので,見辛くてやはり騙されたかと放っておいた。
最近何かの機会に書物の間から出て来たので、詳しく見てみると、私が住んでいた会社の寮がきちっと載っているのを見て、これはと驚いた。東光寮の名前はないが、満業社宅とちゃんと書いてある。3階建ての大きなマンションで、もちろん食堂喫茶、娯楽室、大浴場がつき、前に野球2試合できるほどのグランドが広々と付属していた。
近所には満山社宅もあり、夏の早朝食事前に通ったテニスコートもちゃんと表示されている。
(満業は満洲重工業、満山は満洲鉱山の略称、東光寮は両社の合同独身者寮)
夏は午前3時には夜が明けるのだから、7時に始まる出勤時間前のひと時、テニスで汗を流したわけである。会社の位置は矢張り表示がしてある大同大街の康徳会館(現長春市役所)の北隣のビル(表示は日本会社とある)である。

6時半迎えに来てくれる会社のバスで出かける。食事は概ね社宅の家庭持ちの先輩の馳走に預かる事が多かった。
昼飯は寮から届けてくれるなど、よその会社は知らないが、新入りの私など大喜びの待遇のよさであった。

先般旅行の際、勤め暮らした会社ビルは遊覧バスの窓から昔ながらの姿を懐かしく眺め,感嘆の声を洩したものだが、毎日寝起きした寮の健在を地図でとはいえ、発見出来てなつかしく嬉しかった。
1940年当時のことだから、もう66年前の地図という事になる。
(付属地図の一番上の真ん中が新京駅、真ん中の道路が大同大街,ロータリーが大同広場、地図の右下角付近に満業社宅と表示されている)SinkyoSinkyo2

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コメント

はじめまして。

以前より、戦前絵葉書や図書を収集しているものです。また新京の検索をしており、たどり着きました。
当ブログの貴重な内容、新鮮におどろいております。また、アルコール燃料製造など様々な知らないことがあり、大変勉強になっております。

それにしましても、この新京の地図、おどろきをもって拝見しました。いくつもロータリーがあり、広い公園もあり、実に緻密な計画都市だったのだとおどろいております。
新京が出来る前は、高粱畑がちらほら、しかも雨がふるとぬかるんで、馬車が立ち往生するほどだったとか。それがこれだけの街になるとは、当時のパワーに驚きます。

実は亡父は京城からの引き上げ者で、当時のことを一切話しませんでした。
伯父に聞くと、生きるか死ぬかの思いで引き上げたということでした(伯父は当時、中学に進学していたため、国内に残っていました/父は小学生)。
なので、今思うと、話を聞いておけば良かったと思う反面、辛いことを無理やり聞くのも気が進まず、そのままになってしまいました。

それだけに、貴ブログの様に、当時を詳細に書いてくださるところは、大変、貴重に感じます。
じっくり拝見したく存じます。

また実は満州画像を古本屋などで収集し、こつこつアップしております。
http://www.geocities.jp/ramopcommand/page035.html
その中で、海軍さんのお写真を遺族の方のご提案もありまして、掲載する事が出来ました。
http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/071212/yodo01.html
私も、当時に大変なご苦労で任務を勤めた方々の紹介ができ、感慨深く思っております。

お時間ありますときにでもご覧ください。

では今後とも、貴ブログの発展を祈念致します。

投稿: 古本屋の常連 | 2008年5月24日 (土) 23時06分

大変、失礼致しました。

満州の海軍さんのアドレスが間違っておりました。
お詫びして訂正致します。

http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/071212/yodo01.html

投稿: 古本屋の常連 | 2008年5月24日 (土) 23時09分

もう一度、アドレスの修正を連絡致します。
実は、アドレスの文字が途中で切れてしまいます。

_/071212
の後に
/yodo01.html
があるのが正しいアドレスです。
これを投稿致しますと、何故か自動で省かれる様です。

そこで
http://www.geocities.jp/ramopcommand/page035.html
から、
『淀』 満州での日本海軍
へ、お進みください。

以上、連絡致します。

投稿: 古本屋の常連 | 2008年5月24日 (土) 23時17分

はじめまして。昭和18年から引き揚げまで、小学生で新京に住んでいたものです。私は康徳8年(昭和15年)の地図を持っていますが、この地図はそれより新しいですね。なぜなら私の地図にない路面電車の路線が入っています。三中井のところで大同大街を横切っているのが電車の路線です。その他の大部分はバス路線図と思われます。

投稿: 山梨の猿 | 2010年12月24日 (金) 10時00分

山梨の猿様
コメントありがとうございました。
いやー、驚きましたね。
言われてみますと,私がいた昭和15年には電車は通ってなかったですよ,確か。

通勤は会社のバスオンリーでしたから、通常はマーチョで夜遅く帰ったものです。タクシーはあったかどうか、乗ったかどうか記憶にもうありません。

ということはこの地図康徳7年1月1日発行とありますがうそですね。
或は後日印刷を加えた地図の複製かも知れないですか。
凡例には鉄道、道路標識は記載してありますが,電車線の説明はありません。赤い線がたくさんありますが,一体なんでありましょうか。

バスというのも乗ったことがありませんからわかりませんが、停車場名が入っているようですから,何かの路線には違いないでしょうね。

あなたの康徳8年製にはないということですから、大分後に書き加えられたことは間違いないですね。

まやかしの多い国のものですから、やはり信頼で金ませんね。ありがとうございました。

投稿: | 2010年12月25日 (土) 17時34分

山梨の猿様
コメントありがとうございました。
いやー、驚きましたね。
言われてみますと,私がいた昭和15年には電車は通ってなかったですよ,確か。

通勤は会社のバスオンリーでしたから、通常はマーチョで夜遅く帰ったものです。タクシーはあったかどうか、乗ったかどうか記憶にもうありません。

ということはこの地図康徳7年1月1日発行とありますがうそですね。
或は後日印刷を加えた地図の複製かも知れないですか。
凡例には鉄道、道路標識は記載してありますが,電車線の説明はありません。赤い線がたくさんありますが,一体なんでありましょうか。

バスというのも乗ったことがありませんからわかりませんが、停車場名が入っているようですから,何かの路線には違いないでしょうね。

あなたの康徳8年製にはないということですから、大分後に書き加えられたことは間違いないですね。

まやかしの多い国のものですから、やはり信頼で金ませんね。ありがとうございました。

投稿: | 2010年12月25日 (土) 17時36分

はじめまして

大阪在住の中年男性です。。。

母(72才)が新京からの引き上げ者で、
生まれた生家(入船町)や、当時の新京の町の様子を
子供のころよく聞かされておりました。。

とにかく道が広くて、大きな公園があり、祖父がハルピンなどから出張帰りの時は、駅まで迎えにいった。。
夕方になれは空一杯カラスの大群が町を横切ってゆく等。。

アップしていただいた貴重な地図からも当時の様子が
伺い知れますので、大変感謝しております。。

当然、引き上げるときの過酷な状況、
当時母は7才ぐらいだったのですが、貨物列車の荷台の中央に荷物を置き、それに人々がよりそうようにつかまって引き揚げてきたそうですね。

私も母の昔話としか聞いていなかったのですが、
改めて凄い時代だったのだなあといろいろな文献を読むたびに思い知らされます。。


ぶしつけな書き込み失礼致しました。
今後共宜しくお願い致します。

投稿: rene | 2011年6月 5日 (日) 14時22分

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