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2006年6月13日 (火)

忘れ得ぬ人々(8)

 織田善行君
学校の1年生のとき、鳳陽寮の一学期(個室は学期ごとに変わる)確か彼は我々の真下の階の室に居たと思う。当時の写真から推定出来る。
さして付き合いはなかったが、その上下の関係で時折言葉のやりとりが行われたことで顔見知りになった。
記憶はそれから飛んで戦後になる。私が農協に勤めていた頃、あるとき彼が金を貸してもらえんかと相談に来た。誰に聞いて来たか定かではない。呉の土建会社の岩国出張所に勤めていたとき、その会社の金策でやってきたのだ。勿論組合員でないのだから員外貸付になり、制限がきびしいのだが、同級生だから情実で貸した訳。30万円だったと思う。
1年ぐらい続いたと思うが、彼が会社を止めるから一応金を返すが、この後は貸さない方がいいと言って去って行った。この会社はその後倒産したと聞いている。
彼は呉市役所に再就職し順調に出世して、水道局長までなった。

昭和34年(1959)学校同期の廣島地区同窓会が中の棚の松鶴で開かれたとき、出席者11名の中に彼も入っている。若いときだから随分賑やかだったが、何を話したかなどは覚えていない。
1964年に彼を訪ねて呉の給食センターに紹介してもらい、洗剤を売り込みに行った記録が残っている。
横山君が同じく柔道部だった関係で、極めて親しく、よく行き来して飲み歩く事になった。もちろん横山君を介しての行動ではあるが。彼と生前の思い出はほとんどこれに尽きる。
廣島で主催する同窓会には積極的に協力してくれた。いやの一つも言わない酒好きだが,アルコールに強い、温厚な誠実無比の男だった。

又廣島でクラス会をちょいちょいやったが元気なときは必ず出席してくれた。又忘年会、新年宴会など数えきれない程やったが、いつも遠くから一つ返事で参加してくれた。
最後の年1995年正月の新年宴会はその前年腸がんを手術した後が良くなく,出られないという事だった。
その年8月19日同郷の栗栖君から織田君が4月に亡くなってるよと連絡をくれる。
2、3日後横山君と打ち合わせて悔やみに出かける。深山君は足の具合が悪く歩けない状況になっていたので、私が代行した。
体型的にも筋肉質の頑健な身体をしていたが、ガンには勝てなかった。丈夫なばかりに発見が遅かったのだろう。
前述した様に、横山君が凄く信頼していたので、私も連れられた感じの友人だが、篤実そのものといっていい、地味だが落ち着きのある性格は私に無いものだけに羨ましく敬愛せざるを得なかった。
(写真の真ん中の男が織田君)
Odazenkou

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