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2006年6月29日 (木)

忘れ得ぬ人々(16)

松田房夫君と時岡のおばさん

私の思い出の中からは、この二人を別々には語れそうにない。
松田君はたまたま私が下宿することになった時岡さんの家に、ずっと前から下宿していたという因縁があった。
彼は母屋の二階に、私は別棟の茶室風の離れをあてがわれた。もちろん素人下宿である。
ご主人は元県庁のお役人だったらしく、停年後数年は経ってた感じであった。
松田君のお父さんと仕事かなんかでお知り合いで、頼まれて中学校時時代から下宿させていたらしい。
だから私は2年足らずだし、彼は7、8年居た事になる。彼はもう家族と同じ感じであった。
同じ家でも離れているのだから、一級下の彼とは朝たまに顔を合わせておはようを言うくらいのもので、言葉を交わす事はなかった。

ある時私は体操の時間にハンドボールに夢中になってた時、膝を逆にひねって転び、捻挫してしまった。
1ヶ月ぐらい接骨医に通うことになった。下宿のおばさんが松葉杖姿に驚いて、何にも出来なくなった私を母親代わりに手を添えてくれ、食事を賄いから取り寄せてくれたり、掃除をしてくれたり、しばらくは親身にお世話になることになった。
この時をしおに急速におばさんに親しみをおぼえる様になった。
朝の洗面や夕方の入浴以外にも、お茶菓子の接待をうけたり、まだ小学生の姉妹がいたのを、蛍狩りに連れて行ったり、家庭との付き合いもするようになった。

そのうち何時頃か松田君がアコーディオンの練習をやり始めた。私も音楽好きな方だから、ことさら気にする事は無かった。しかし後日分かったことだが、音楽会で演奏するための曲を毎日何時間も練習し始めた。これにはいささか参った。二階と離れだからかなり離れているのだが、何せアコーディオンは音が大きい。それを一生懸命に練習するのだから益々大きな音になる。だが夜やるのでないので私は専ら部屋から逃げ出す事にした。

少し以前から音楽好きな上級生や仲間とディスク同好会なるものを立ち上げ、市内の百貨店レコード部と提携して、洋楽の新譜発表会を主催したり、レコード鑑賞会を持ったりすることがあった。
そして彼もそのうち入会して来た。こうして、ごく自然に親しくなった。

彼は酒造家のぼっちゃんだから、お金の融通が利き、高価なレコードを購入して、蓄音機ともども私の部屋に持ち込み聞かしてくれたりした。
私は残念ながら、貧乏学生だから普段は音楽喫茶でねばるのが仕事みたいなものだった。
彼からの恩恵は正に旱天の慈雨で、竹針の先をカッターで切るお手伝いしながら楽しんだものだ。

そのうち隣家とも接触が出来たりして、私のこのころは随分楽しい明け暮れで終始した。この楽しさは終世忘れ得ぬものだ。
卒業の翌年には、軍隊入営が待っていた。就職地が新京だったせいか関東軍に入営命令が来た。
昭和18年ある上官の見舞いに斐徳(満州国東安省)の陸軍病院を訪れた際、患者の中から私の名を呼びかけた兵隊がいた。これが松田君だった。重砲部隊に入隊し訓練中キャタピラに足を踏まれて骨折したとのことだった。
その後半月ぐらいして私が盲腸炎で入院することになった。入院してすぐ開腹手術をしてうなっている最中、彼が牡丹江に後送されることになりましたから、挨拶に来たと言う。
内地に帰れるかも知れんからいいじゃないかと痛む中から声をかけたことを憶えている。

彼の部隊は後日バシー海峡で潜水艦にやられ、ほとんど全滅の悲運にあったと聞いた。このことは何度か「人間万事塞翁が馬」と題してホームページに載せたりした。

時岡のおばさんとは戦後もずっと文通がつづいたが、昭和32年11月28日時岡宅を訪れたことがある。
すでにおじさんは亡くなられ、おばさんは息子さんのいる和歌山県白浜に移住して居られた。
留守居の方にお願いして仏壇を拝ましていただいた。

時岡のおばさんからはその後この夏一度郷里に帰るからそのとき会いたいと手紙を頂いた事がある。待てど暮らせどお呼びがかからないうちに娘さんから訃報を頂戴した。

松田君については、親の跡を継いで醸造業にいそしんでいると、友人たちから聞いていたが、昭和56年3月26日夜東京在住の当時隣家にいた娘さんから42年振りに突然電話を頂き、松田さんから聞いたと言って私が無事生還したことを知ったと喜んでくれたことがあり、間接的に彼の活躍ぶりも聞くことができた。
しかし遂に再会を果たす事無く、平成8年11月1日亡くなったという校友会報の消息記事で彼の他界を知った。
(写真は左から松田君、隣の娘、下宿の子供ら)
Matsuda
Tonarinoko
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