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2006年5月20日 (土)

悔しい戦争の思い出

私は最近になって、終戦前後の部隊行動の中で、重要なミスをしていたらしいことに気がついた。
昭和20年夏、部隊本部から近く初年兵が入隊してくるから、山崎少尉以下に北京まで受け取りに出向かせるが、到着の暁には7名を我が隊に配属するというものであったと記憶していた。

ところが配属されてきたのは、19歳の松島健四郎二等兵1名だった。
そして別に2名既に風土病のようなものに犯され、足が腐ってあちこちから膿が出ている兵隊が我が隊の所属だというので会っては見たが、病室があったかどうか、そちらへ収容された様に思う。

当時の記録としては、手帳に鉛筆書きで西谷益男(19歳)、江端時雄(20歳)各二等兵戦病死とあるだけで、詳細はわからない。
今度改めて本部からの日誌の写しを見てみると、西谷益男二等兵は広西省全県永和郷沙子湾にてマラリアのため、昭和20年8月9日病死、江端時雄二等兵は同所にてマラリアのため、昭和20年8月10日病死とある。
正に終戦直前の移動の最中の出来事であり、直接見ていないので、状況は知る由もないし、遺体がどう処理されたかもわからない。

そしてこの他にも、私の隊員として鴨志田武雄(20歳)二等兵が長沙の兵站病院にて赤痢のため、昭和20年7月20日に、又伊藤武一二等兵(19歳)が同じく長沙兵站病院にて栄養失調症のため、昭和20年8月31日に病死していることが分かった。私の目の届かない所で、見たことも無い部下が亡くなっていたわけである。
(8月31日とは既に戦後である。病院は仕事を継続していたのだろうか)

当時の引率責任者だった山崎少尉にも聞いたことがあるが、随分昔のこと故詳細はまるでわからなかった。
私が当初7名の初年兵割当があると聞いてたのは、実際は5名だったことになる。
それにしても、5名のうち1名が実際に我が隊に入隊しただけで、残り4名は入隊しないまま死んでしまったということである。

言い訳になるかもしれないが、戦後私自身が戦災に遭い、命を保全することに汲々として、部下だったものたちの戦後の事など考えたことはあったが、どうする術も無かった。
生存者についてはいろいろ状況報告をしてくれるものなどあって、かなりのことは承知出来たのだが、積極的にこちらから行動するなど出来なかったし、やる気も起きなかった。

今顧みると、この4名の若人はあたら命を無駄に戦野に晒し、後方の軍部から一片の公報だけで死を知らされた遺族のことを思うと、いたたまれないし申し訳ない思いでいっぱいである。

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