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2006年5月17日 (水)

大学教授夫妻

長沙についてはもう一つ思い出すことがある。今度は帰り道の話である。
昭和20年7月20日から23日にかけて、我が部隊は桂林を撤退することになった。敵から見れば当然退却ということである。
この時、趙冰という大学教授夫妻を預かった。南京に行き、周仏海に会って保護を求めるとの話だった。
数年前書いた「私の軍隊生活」の中でこんな風に記録している。
ーーー この頃、前線にいた部隊が続々と後退して来る中に、歩兵部隊と行動を共にしていた、香港大学の教授と称する趙冰さん夫妻を、武漢まで乗せて行ってくれと頼まれる。ーーー
実はこれは私の記憶違いであったようだ。
最近便りを頂いた元戦友の某から、次の様な詳しいいきさつを聞いた。
ーーー私、犬養さんと同年兵で中国広西省の周家村に居ました頃、良峰郷の警備隊で一緒でした。彼が隊長で伍長でした。
その時国立広西大学の教授で趙冰という人が奥さんと二人で逃げ遅れて大学の近くに住んでいましたが、生活困難になり南京へ行きたいとのことで、部隊長の許可が出て私共のいる警備隊へ英語で喋って入って来ました。
 イエスタデイが解っただけですが、多分「昨日来ようと思っていたが来られなかった」と言ったのだと思いました。
奥さんは32歳で日本人そっくりの人で迚も気品のある婦人でした。その教授は50歳とのことで,シカゴ大学を出たとのことでした。
その教授と筆談でお話を致しましたが,ソ連へも行ったことがある。何処へも行ったことがあると世界中方々へ行ったことがあると言うので、「日本へ行ったことがあるか」とききました所、アメリカへ行く時横浜に3日間寄港したことがある、日本へ行ったことと言えばその時だけだとのことでしたので、思ったのですが,国際的には東京より横浜の方が有名なのだなあと思いました。ーーー
私は香港大学教授と聞いたと「私の軍隊生活」に書いているが、広西大学教授がほんとらしい。そして他の部隊から預かったと聞いていたが、そうではなかった。
私も一ヶ月行動を共にしたので、かなり詳しくいろいろ話したけど、身分などは一度聞いたら二度は聞かないものだけに、最初聞いたと思ったことが先入観になっていたのだろう。英語は確かにうまかった。こちらが下手なのでなかなか意思疎通が出来なかったが。
特別扱いはしない約束だったから、兵と同じ給養で貧しいものだったし、途中衡山では戦闘を交えた場面を見ていただろうし、どんな感慨を持って去って行ったか推量すべくもない。
長沙で武装解除にあって、彼らとは袂を分かったが、そういう経歴の人なら何とでもいい繕って、後世をうまく世渡り出来たのではあるまいか。
ずっと親日的立場を取って、行動した人だけに袖すり合うも多少の縁で、出方次第では拘束されて、漢奸として処刑でもされたら可哀想だと思っていたのだが、一応大丈夫だろうと一安心した。

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