« 広東橋の一夜 | トップページ | 死の時の仕事 »

2006年5月 9日 (火)

広東橋余譚

昨日のブログで広東橋での出来事を書いたが、その後日譚といえるかどうか。
今考えると多少の影響を受けたかと思われることが、1、2ヶ月後に起きた。
戦勝国の中国は、祝賀気分があったかどうか、まだその醒めやらぬうちに国共内戦という事態に追い込まれた。
国の支配権の争奪争いである。

この戦争の発端となった満州事変当時、すでに中国大半を支配していたと思われた蒋介石の率いる国民党に対して、唯一最後まで抵抗していたのが、毛沢東、周恩来率いる共産党だった。
満洲で最大の軍閥の領袖張作霖の息子張学良は父を日本軍に爆殺された復讐の一念から、国共内戦を止め、一致して日本に当たるべきだと考え、有名な西安クーデターを敢行した。
捕虜監禁された蒋介石は張学良の慫慂を呑み、ここに国共の共同作戦が実現し、最終的に勝利を齎した訳だった。

しかし相手だった日本が無くなった後、国の指導権争いが起こる事は必然であった。
敗残の日本軍の中でも血の気の多い若者たちは、祖国の壊滅を知らされ半ば自暴自棄に陥るものも沢山居た。
誘われて共産軍や国民党軍に投ずるものは凄い量だった。

私の部隊にも国民党から誘いが入り、隊員6人が応募して入隊した。部隊全部では20名を超えたと聞いている。
下士官1、兵5のほとんどが妻子を持たない、血気盛んな東京近辺の出身者たちだった。
この当時知らされていた日本内地の惨状は多少の誇張は免れないが、到底立ち直れる状況にあるとは想像出来なかった。正に広東橋の住民がいう通りだった。
どうせ一度は捨てた命なら悔いなく中国のためになろうと考えたかどうか。
わたしは自暴自棄の一種と結論する。明治維新の若者たちの様な高邁な理念などはなかった思う。
ただ、中国の場合は別にして、インドネシア、ビルマなど、日本政府が国是とした八紘一宇の精神を本気で信じた若者たちが、遂に独立実現に協力した事実まで、その理念がなかったとはよう言わない。

|

« 広東橋の一夜 | トップページ | 死の時の仕事 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/9977866

この記事へのトラックバック一覧です: 広東橋余譚:

« 広東橋の一夜 | トップページ | 死の時の仕事 »