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2006年4月13日 (木)

昔語り

一泊旅行に出るので、若き日の日記を借用して、今日のブログを埋めることにする。

(昭和14年4月13日の日記から抜粋)
『 会館で夕食を取った後、福永、進藤達の行くままに、ぶらりと雑談に興じつつ散策の積もりで歩いた。当てどもなくぶらぶらしていたのであるが、いつのまにか足は亀山の入り口に向かっていた。
春の夜の暖かい空気が顔のあたりを撫でて廻り、何かしら快い気持である。夕闇はいつしか迫り、見る見る中にあたりは暗くなって来る。

 頂上の銅像の立ち並んでいる広っぱに最後の石段を軽く意識的に踏んで上がる。瞬間ほっとする。
雑談ははたと止み、皆の目は前方の闇を通して窺い見る。そこには一種の好奇心が走る。誰も居ない。
進藤と福永は話しを始める。前とはがらりと趣向を変えたものである。
ともかく春だ。動物の本能として誰でも感ずることを話し始めたのだ。
俺は黙っている。話したくないからだ。何かしらそんな事を話すのが、下卑じみているし、又一種恥ずかしさを伴うのを覚えもした。
2、3人の学生らしきものに逢ったきり誰も居ない亀山をぶらぶら歩いて、又石段を降りて大砲のある広っぱに来た。
 両人がした通りにセメントを固めた四角い台上に寝転ぶ。空は既に薄墨色だ。星も光っていぬ薄暮。
明日は雨かしら。ふとそう思う。突然口笛を吹く。うまく出ない。濁った音を出す。
しかし間も無く唇が湿ると、冴えた音色は夕闇を衝いて静寂な亀山にうるみを与える。得意になって吹く。
進藤はポケットから岩波文庫のドーデーのなんとか云う短編集を出してその一節を朗読し始める。
朗読と口笛が交錯して優雅な雰囲気を醸し出す。両人とも動く気配がない。じーっとして聞いている。俺の身体もびくりともせぬ。
 突然すぐ前の池で蛙が合奏しているのに気がついた。今や亀山はオーケストラの演奏場と化した。ふと「オーケストラの少女」の演奏会場のシーンが浮かんだ。
口笛を吹くのを止めて蛙の合奏に耳を澄ます。と、はたと合奏が止んだ。「おい、口笛を止めると蛙が鳴くのを止めたぜ。共鳴きをしていたのかなあ」と俺が口を開く。「うん」とうなづいた声。
 辺りはすっかり暗くなり、静寂の底へ引き摺り込まれる様だ。蛙は音楽が好きなのかなあと、何か偉大な発見でもした様な気になって心の中で頷く。
「蛙の鳴くのは実際よいのを」とさも感心した様に進藤が言う。「田舎の蛙は鳴くのが拙いがここのは上手だ」と亀山の蛙は偉大な音楽家ででもあるような事をつぶやく。蛙の共鳴を期待して口笛を吹き出す。
 耳は他の方に集中して、と俄然合奏は始まった。心は歓喜に燃えた。口笛と蛙の合奏は続く。メロディーは樹間を通して流れる。不図「頬白先生」の最後の琴の二重奏の場面がありありと思い出された。月の無い晩はもう真夜中である様な錯覚を起こした様だ。もう何時ごろだろうか。』

 あとがき:我ながらこの一文は気に入った青春の一齣だし、やや意識過剰だが今読んでも好きだ。戦火が未だ及ばぬ、平和な学生生活だったんだなあと感慨一入である。進藤はもうこの世にいないが、福永は隣の市で健在である。
なお『オーケストラの少女」と『頬白先生」は映画の題名である。

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