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2006年4月15日 (土)

政権というもの

私はいつも思ってることなんだが、国の政治を動かすのはたった一人の場合が多い。多くとも2、3名である。
幕府転覆を実行したのは、高杉晋作、明治維新を断行したのは、大久保利通、木戸孝允、西郷隆盛、日米開戦に踏み切ったのは東條英機と昭和天皇、終戦をしたのは昭和天皇と思っている。
もちろん多勢のものが、あちらに付きこちらに付いて、動向を左右しているが、決断をするものは一人である。

ここでタラを言わして貰えば、同じく長州出身の政治家で伊藤博文と山県有朋の寿命が逆だったら、今日の日本の様相は全く変わったものになったであろうと思うのである。
山県は天皇直轄という軍隊をうまく利用した。伊藤が若し居たらその独走を許すことはなかったに違いない。伊藤は憲法草案者で枢密院議長だったし、戦争慎重派だった。

ただ戦争には反対だった、牢獄に入れられても抵抗したというのでは、ダメなのである。
何時の時代でも反対したり、抵抗したりしたものは数多い。しかし時代を決めたのは織田信長であり、豊臣秀吉、徳川家康なのだ.態勢を動かす力がなかったら、どうにもならない。

只一人の独裁者を居らしてはならない、というのがアメリカ式民主主義の理想なのだが、人間本来の動物本能からすると、得てして人間は独裁者を求めたがるものなのだ。
悠久の流れの中で、この人類の将来を決めて行くのは、只民主主義なら大丈夫安心だという訳には行かない。いつその中から或はその外から独裁者が生まれるかわからないのが、政治の構図なのだから。
ついでに言うなら、宗教指導者などは、民主主義の一番対極にいるものと言うべきであろう。

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