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2006年4月30日 (日)

60年前の今日

1946年4月30日私は河幅何キロもある中国揚子江の滔々たる流れに身を任せて、12名の同僚とともに小舟で船頭の操る竿のままに下っていた。アンペラを敷いただけの船底に横向きになって、寝たり起きたりしながら、四周を見回したり、或は目を瞑って故国を偲んだり、他に何もなす術もない身の上だった。

昨日武昌で何日かの待機時間を過ぎて、やっと部隊を輸送するに足る小舟が整えられたので、分乗して個々に岸を離れた。
勿論こちらは捕虜の身の上、中国軍の差配に任せての文句一つ言える立場にはない。

待機している数日間には、物色して見回る中国軍兵士の好奇心をそそるものあれば、文句なしに強奪された。
私もうっかり腕時計が露出していて見つかり、有無を言わさず強奪されんとした。思わずその手を払いのけんとしたが、ナイフを出してバンドの間に差し込まれた。手が切られそうになったので、相手を制して自分でバンドを外し与えた。
別の兵士が私の眼鏡をさっと取り上げた。それは困ると叫んだが、彼は自分で掛けてみて度が合わないので、ダメだと分かり返してくれた。
敗戦とはこのことかと今更胸に痛みがしみた。
すでに出発前身体検査を受けて、最少限の持ち物以外は全部没収されていたので、今更ある訳はないのだがそれでも彼らはしつこかった。
日本軍がかっては同じ様なことをしたのかもしれない。うらみっこなしだなと心のうちで笑った。

イルカが何頭も側を泳ぎ過ぎた。先年フェリーで遡江するときには、いつまでも付いて来たもんだが、こんな小舟には目もくれない。赤茶けた水の中は何も見えない。流水にざっくりと削り取られた江岸の景色が遠く長く続くだけで、人家は殆ど見えない。ただ所々停泊出来る港らしき場所があり、そこには人家というより可成りの集落が見える。
もちろんこちらはお呼びでない、通過するだけである。

小用を足したり、食事のための飯ごう炊爨したりする時には、何もない岸辺に舟を寄せ、上陸してことを逹した。
食事といっても、米だけでおかずという様なものはない。水は泥水を湧かして呑む。
時速何キロか、呑気なものである。
この旅は結局後15日かかって南京の下関に着いたのだが、他の舟も後先になりながら下って行った。その毎日の事情は知る由もない。

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