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2006年3月11日 (土)

薪の山降ろし

満洲鉱山(株)(新京)に就職のため、郷里を去る1週間前、母の発案で1年分の薪(といっても焚き付け)を山から降ろす事になった。
80歳になる母の父が3キロも向こうの里から来て手伝ってくれた。ノウと云うというのは、我が家の4300坪の山に前年の閑散期に下苅りした雑木やシダ類を藁で束ねて、山型に積み重ねて1年間経過した物である。
ノウ2本あれば1年分の焚き付けとして十分である。
なまじっか学業成績が良かったばかりに、普段勉強ばかりさせられ、百姓をしたことのない私が、父が死んで3ヶ月目に満洲に行き二度と農業の手伝いをさせる事が出来ないと知った母が、始めての体験をさすためと一人前の力を借りるために目論んだこの作業だった。初心者の大袈裟な苦闘振りの記録である。

『昭和15年3月11日
 昨日は母と尾津の祖父さんと弟(未だ8歳)と4人で山へシダを取りに行った。
一丈以上の高さのあるノウを一つと其の半分くらいのを一つ片付けてしまった。

三つでも四つでもたかがシダの束だから、それを一束にしてその二束を一荷にしてかついでも大したことはないだろうと、たかを括っていたところが、かつぎ上げた途端その案外に重いのにびっくりした。
その位だから一キロぐらいある山道をよちよちかついで下りた時は、これはいけないと思った。少々の重さではなかったからである。途中で二度休んだ。そして思案にくれた。

思い切って立ち上がって下までかつぎ下ろしたのであるが、すっかり圧倒されてしまった。もうやる気がしなくなった。所が形勢は益々非で少々のシダではない。
両方のノウを共に今日中に持って帰るのかと問うた位である。しかし二度目からはかつぎ出すまでは、塗炭の苦しみを味わったがそれでもそれを投げ下ろすと、この位の荷なんか大丈夫だぞという自信が湧いて来るのは我ながら不思議であった。

こうして昼まで相当疲れて帰った。午後は更に激烈を極めた。それこそ悪戦苦闘。
しまいには物も言いたく無いようになってしまった。肩はづきづき痛み、足は疲れてひょろひょろし出し、足先はひりひり痛んだ。かくて次第に自信を失って来ると共に5時になるもまだ残部の莫大なるに驚嘆し恐れをなした。
夕闇は次第に迫って来た。しかし肩はすっかり駄目。もう歯を食いしばって我慢に我慢をし続けるだけだった。

俺はあの辛抱強かった父の子ではないか、又13の年から人をして驚かす仕事ぶりで、80の現在に到るも钁鑠として母や僕と同じ荷をかついでいる祖父の孫ではないか、このくらいの事が辛抱出来ない筈はないと自ら自分を叱咤した。
既に宵闇濃くなりし頃、最後の一荷をへたばりながら車の所まで持って来て歓喜の沸き上がる心をこめて荷を投げ出した。
帰って見て驚いた。肩の筋肉は腫れ上がり、足は到る所疲れを見せ、首の筋肉も何だか痛む。こうして風呂でごみを洗い流して寝た時にはすっかり身体は固まった様な気持で、自分で動かすことが出来ぬ様な感じ。忽ち奈落の底にでも落ちる様な気持で深い眠りに落ちて行った。』

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