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2006年3月20日 (月)

岩国市民投票

top_img02 先日の岩国市民投票の結果、反対が僅かに有権者の過半数を超えた。
民主主義の世の中だから、1厘超えても多数は多数だから、決まったことは仕方が無い。
しかしこの結果が市の将来を変えることができるだろうか。

もちろん基地が無くなるわけではない。基地そのものを無くさない限り騒音も絶えなければ、米軍も自衛隊も居なくはならない。
たかが59の飛行機が常駐するぐらいで、世の中が変わるのだろうか。
確かに爆音はやかましい。私も好きではない。しかし自動車の走行音も嫌いである。電車の音も好きではない。
遠くで聞けばまあ我慢出来るけど近くを通ってくれると腹が立つ。
ただこれも国民のために一生懸命働いてくれてるための騒音だから文句は言えない。
大多数の国民は皆我慢しながら暮らしている。又一方では自分が加害者の場合もあるので強くは言えない。

又仮に米軍が居なくなってしまえば、まるきり状況が変わって、飛行機も施設もなくなるかというと、そうでもないだろう。自衛航空隊が常駐し、国権による大基地に転化するとも限らない。

現憲法は立憲当初は自衛もしない、完全な無防備を企図したのではないかと、憲法の条文を素直に受け取った私は未だに思っているのだが、国民はほとんど誰も無防備なんて考えなかったらしい。だからすぐ自衛のための警察予備隊が発足し、まもなく自衛隊に格上げされた。私が6年従軍した軍隊と一つも変わらない。

現在自衛ぐらいは仕方が無いとは、国民の総意といってよいかもしれない。
仮想敵国は皆兵力を増強して圧力を日本政府に加えつつあるという現状に目をやればますます仕方が無いとなる。

戦争はもうこりごりの私は、自衛もせずに直ぐ手を挙げたら良いと思ったりするのだが、女子供にとってみれば、簡単に侵入者に好きにされては叶わないことだろう。
自分を守るためにも、武器ぐらいもって立ち向かわねば仕方が無いわけだ。
ということは、自衛を許すという痛みは誰かいや皆が背負わなければならない。

岩国市民が反対をしたのは、せめて今回の59機の増強問題だけであって、基地としての責務は国家国民のために敢えて引き受けると表明して欲しいものである。基地まで無くしようとするやからの声が、問題の本質を変えようとしているように聞こえて仕方が無い。

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