« 古い日記を読む | トップページ | 眠らせて貰えなかった一日 »

2006年2月20日 (月)

小野篁のこと

昨年の3月に河内町の竹林寺を訪ねた。
先年高知の五台山竹林寺を訪問した時の記憶を思い出し、どんな関係があるのかなとの単純な発想からだった。
私の乏しい知識では、竹林寺と言えば五台山かせいぜい生駒の竹林寺しか思い浮かばなかったのだが、ふと地図を見ているうちに、近い所に竹林寺がある事に気づいた。
なかなか訪れる機会はなかったのだが、たまたま妹がその介護休みに広島空港を見たいというので、そのついでに案内しがてら私も参詣しようということになった。

3百メータくらいの山の頂上にあるお寺だから、上まで車で大丈夫かと一寸心配したが、お寺の近くに駐車場があった。
駐車場の直ぐ近くに小野篁誕生の地と言う記念碑が立っていた。アレッと驚く。側の説明板には篁誕生の由来などが書き付けられていた。
このお寺も篁山竹林寺というのは、この小野篁に由来しているとの事。

小野篁とは平安初期の学者政治家で著名な人である。昔中学校で歴史の時間に習った事があり、篁の字が読めないで不思議な名前だなと思った記憶があり、蛙と柳の絵で有名な小野道風の先祖だという事は知っていた。

そして先年隠岐に旅をしたとき、遣唐使副使として唐に渡る際、大使の専断に怒り、不覊不屈の彼は勅命に逆らって乗船せず、流罪にあって数年この地に暮らし、土地の女性との悲恋伝説のあることもバスガイド嬢の案内で聞いていた。百人一首にある「わたのはらやそしまかけてこきいでぬと人にはつげよあまのつり舟」はその流された時の彼の歌である。

唐の白楽天に比せられる、漢詩人の大家だったことも改めて知る事になった。
が果たして、この地が誕生の地であろうか、まつわる伝説の多い人物だけに、今川了俊でなくともちょっと眉につばを付けたくなる。
十代で早くも嵯峨上皇にその才を認められていたという話もあって、幼少にして上京しとある説明板の説明はちょっとおかしい。
池の右側に欝然と繁る孟宗竹の篁は正に小野篁を象徴するかに見える。
しかし古刹だから山門も、参道にかかる橋も皆古びて修理目前と見えた。
五台山と較べて、格差がありすぎる。先方は立派な五重塔があるのに、こちらは三重塔すらどこかへ持ち去られて、跡形は単なる表示にしかすぎない。
昔は往来の激しかったと思われる正面の坂の石段は、草蒸して人跡は見えない。
突然悲しさがこみ上げて来た。takamurahi-0584
tikurinji0589

|

« 古い日記を読む | トップページ | 眠らせて貰えなかった一日 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/8756011

この記事へのトラックバック一覧です: 小野篁のこと:

« 古い日記を読む | トップページ | 眠らせて貰えなかった一日 »