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2006年2月26日 (日)

戦傷兵と乗り合わせたバス

(昭和14年10月8日の日記から)
 米屋町の四つ角へ出て、時計屋の時計を見るとまだ七時十分。
少し時間があるので本を何か買って退屈凌ぎに読んだら良いだろうと思い、本屋へ行く。
岩波文庫を探してヘルマン・ヘッセの「青春は美はし」を買う。
煙草を一個買って停留所へ行ったが、まだ五分とたっていない。湯田から松本が来る筈になっていたのだ。
間も無く止まった自動車から澄ました格好をした松本がバスから降りると此方を見てにやりとする。
「どうだ。行けるかい。これで」松本が天候の事を気にして空を仰ぎながら言う。この萩行きの発起者は実にこの松本だったのである。
「うん、どうかなあ…。大丈夫だろうぜ。まさか雨は降りはすまい」と答える。
「そりゃ、雨はふりゃせんじゃろうが」しばらくぼんやり空を仰ぎ見る。
「せやあない、行こういや、のう」と俺が促す。「うん、行こうか」万事一決、僕らは駅へ行って、バスにに乗ることにし、ぼつりぼつり歩き始めた。

省営(注:鉄道省営)バスは本通を巨体を揺さぶりながら、それでもかなりのスピードで走る。
何時の間に乗ったか一人の兵隊が何かぷすっとした様な顔をして、僕達の側へ来て立ち煙草を吸い始めた。
僕は車が揺れるので字はひどく読み難いにも拘らず「青春は美はし」の一頁を読み始めた。仲々読めない。
第一外の眺めが気になって少しも頭に入らない。

何時始めたのか松本がしきりとかの兵隊と話している。松本が聞き手で兵隊が話し手である。
暫くすると一人のおばさんが兵隊に問いかける。
何でもこの兵隊は一昨年八月一日事変の勃発と同時に出征したもので、二度も負傷し、今年の四月に帰国し、現在兵営にいるとのことで、この度郷里の萩へ二年ぶりに帰るとのことだった。

兵隊はしきりに、負傷して現在は廃人同様で駆けることは出来んし、人間には入れて貰えんとくどくど不平を洩らす。

僕は彼が傷病兵であることを聞いて席を譲るべきだと考えた。しかし彼の私に与えた先入観は良くはなかったし、又私は出来るなら努めてこんな面倒がましい事は避けて、消極的態度を取ろうと考えて居た。
だから何か心に咎めるものを感じながらも知らぬ顔をして、窓に肘を掛け、読めない岩波文庫を開いて一心不乱に読むふりをし、又読もうとした。
しかし兵隊の話は案外に面白かった。盛んに付近の乗客を笑わし又私も知らぬ間にその話に気を取られているのだった。

突然松本が立ち上がって、手を出して兵隊に向かって「どうぞ、どうぞ」と言い始めた。私は何だか狼狽えた。そして先を越されたという衝撃に似たものを感じた。そして他の乗客の目が恐くなった。
だから兵隊がすぐ側に座っても外の方を向いて黙って本を見ていた。相変わらず兵隊は笑わしている。しかし私には話しかけようとはしない。
(当時の風潮として戦傷者には率先して座席を譲るのが常識であった)

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