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2006年2月28日 (火)

萩女性たちとの楽しい交流

先日「戦傷兵と乗り合わせたバス」のことを書いたが、そのすぐ後で、私としては実に楽しくて印象深い出来事が待っていた。
しかし、この日記にはそのことには全然触れていないのが、不思議な気がしてならない。
ひょっとすると、長くなるから書くのを断念して寝てしまったのかも知れないと思う。
というのは、一緒に出かけた松本君とは戦後停年時まで、同じ市に住み、停年後彼は郷里の松江に帰っても、同級生の会合にはいつも顔を合わし、少し酔いでも廻るといつも話に出るのが、この萩旅行のことだった。

萩に着くと、お決まりのコースはもちろん吉田松蔭の松下村塾から始まる。
そこの見学を済ませて、次にどこへ行くかとというとき、たまたまバス停で楽しくもつれ合う様にして、しゃべっている5、6人の若い女性の一団と一緒になった。
人見知りしない松本君は例の調子で、その女性らに声を掛け、行く先を尋ねたり、そこはどんな所か、良い所かなど質問を浴びせ、それではと彼女らに案内を頼むということになってしまった。
満員のバスに乗ってから、つり革にぶら下がりながら、いろいろ聞くと、彼女らは地元の女学校の同期の卒業生で、私たちより年配かと見えたが、そうでもなく同い年くらいの、同窓会を兼ねたピクニックということらしかった。

つれて行かれた所は、海端の笠山という小さな死火山で、標高は百メートルくらいで、歩いていくらもしないうちに頂上付近に着いた。見渡すと噴火で出来た台状ををした小島が点在し、海岸線は遠く日本海の青海原につながり、素晴らしい眺望である。
日曜日とあって沢山の人が、あちらこちらの樹木の影、景色の良く見える斜面などに腰を下ろして、輪を作ってわいわいとやっていた。この時期になると、この地の年中行事に似た趣に見えた。
ここまで来たのだからもう別れて、噴火口や池などを見るかと、二人で話していると、あなた方は弁当は持っていないのでしょうという。ええと返事をすると、沢山弁当を持参しているから一緒に食べましょうよ勧められてしまった。

当時私たち学生仲間でよく知られたこの地方の俗諺に「山口男に萩女」というのがあった。
この女性たちは正にその萩女たちだった。揃いも揃っての色白の美女たち。ほんとに願っても無いことと大喜びで仲間に入れてもらった。
さあ食え、さあ食えと彼女らの手作りの弁当を次から次へと勧められ、挙げ句の果てには彼女らのおしゃべりに載せられて、歌を歌ったり、郷里の事をしゃべらされたりして、その雰囲気にすっかりとけ込んで楽しい一時を過ごしてしまった。
ふと気がついて、このままでは彼女たちの折角の懇親の場を壊すのではと、これから町に行って史蹟を見学して帰ることになってるからと理屈をつけ、後ろ髪を引かれながら、やっとの思いでこの場から離脱する事が出来た。

若き日の此の楽しい思い出は、一人一人の顔つきとか、正確に何人だったかとは朦朧として思い出さないが、生涯忘れる事は出来なかった。が「戦傷兵と乗り合わせたバス」の中の事は日記に書いているのだから事実だろうが、まるで記憶に無い。

正義感が強く、いつも積極的で折り目正しく、仲間から敬愛され続けた松本君は昨年あの世に行ってしまった。嗚呼!

(写真は昭和42年の笠山からの眺望)

kasayama

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