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2006年2月27日 (月)

66年前の今日、卒業の駅頭の別れ

(昭和15年2月27日の日記より)
『ああ、山口駅頭を去るとき、悲しみは込み上げ気持は混乱した。
友も下宿の小母さんも僕もぺこぺこ頭を下げながら何か分けの分からぬ事をぶつぶつ言い合った。汽車は混んでいた。
あちらでもこちらでも別れを惜しむ学生。突然汽笛一声汽車はごたんと動き始めた。
狼狽して飛び乗る僕、そして最後の挨拶を交わす眼と眼。ああ汽車は行く、徐々にそして底知れぬ無限の快速を秘めて、するするとプラットフォームを離れて、窓より僕は宙に浮き上がった様な、誰ともなく帽子を振り出した。
ア、小母さんがハンカチを振っている。汽車は漸くスピードを増した。
そして小母さんも僕も愈激しく帽子を振りハンカチを振る。
ああ愈遠くなった。もう顔も分からない。混然たる人の群れの中、小母さんの振る白いハンカチ。もう帽子はふらなくなった。送られる人も引っ込んだ。
しかし小母さんも僕も止めない。いや止められない。「さようならー」大声で叫ぶ。汽車は掻き消して軣々。
又叫ぶ。何だか目茶苦茶に喚きたい気持。』

追記:私はその後直ぐ(3月20日)満洲の会社へ就職、翌年兵役、大東亜戦争に従軍、昭和21年帰国、破壊された我が家の復興や就職のため上京したりいろいろ生活に苦しみ、32年やっと小母さんを訪ねたが、数年前ご主人を亡くされて息子さんのいる和歌山県白浜に移って居られて会えず、この駅頭の別れが最後となった。(昭和38年に一度帰郷するからその時会いたいと、手紙が来た事があるが、待てど暮らせど音沙汰なく、その後音信普通となった。その後当時小さかった長女の方にその嫁ぎ先から亡くなられたとの手紙を頂き、留守宅に行きー元の家の母屋ー仏前に焼香したことがある)

思えば、飛び込みでお願いした家で、たまたま息子さんたちが他郷へ遊学されて、部屋が空いていたため貸していただいた完全な素人下宿だった。学生時代2年間家族同様に掃除洗濯入浴など身辺の世話をしてくれた、忘れる事の出来ない優しい小父さんと小母さんだった。
(写真の右側の一番手前の屋根が私の居た下宿、尚都市計画で何十年か前除去されて現在は跡形も無い)
my_lodging

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