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2006年2月24日 (金)

戦後間もない頃のある一日

昭和23年2月21日(土)雨
早朝から土砂降りの雨。風邪気味で頭が痛い。休もうかとおもったが思い直して出かけて行く。半ドン、帰りも雨。靴の中の足が湿っぽくて痺れたように冷たい。水たまりをまたぎまたぎして急ぎ帰る。昼飯を食い終えた時妹来る。
午後は床を敷いて寝る。三生さんも来る。神村がひょっくりやってくる。とうとう起き上がって話す。接待はハワイ持ち。(注:ハワイの親戚が贈ってくれたお菓子類でのもてなしという意味)4時過ぎ夫々汽車やら自動車やらで帰ると言って去る。雨はいつの間にか止んでいる。

母は昨日から引き続いて肥取りに忙しい。庄屋谷の中村(特に仮名)の養子が下肥を皆取って廻るとかで話しが永い。肥までをと驚く。せちがらい世の中の限りが分からなくなる様な氣がする。
末の妹が音楽会にでるとか。それも県庁の所在地の学校であるやつにとか。驚いたものだ。時間は自分だけにあるものではないとつくづく思う。

夜8時頃思いがけなく柱野の珠ちゃんの声がする。母が導いて一緒に家の中に入って来るとやはり珠ちゃん。歯が悪いとかで明日藤生の病院へ診察に行くので一晩泊めてくれと言う。

入れ替わり立ち替わりお客のあるのに氣を取られて、うっかり今日の宿直を忘れるところ、8時過ぎになって思い出し、あわてて真黒の闇の中を出て行く。泥棒の多い昨今、幸い農業会(注:当時の勤め先)には何事も無かったけど、ヒャっとしたこと一通りではない。
(写真は当時まだ残っていた我が家の前の昭和20年8月14日米軍空爆跡)
bomb-hole

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