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2006年2月22日 (水)

苅萱堂の疑問

家内の発起で、妹3人を誘って姨捨軍団で4月に吉野山の桜見物に行く事が決まった。
その話をしているときに、途中高野山近くを通ることから、急展開して苅萱道心とその子別れに話が進展し、何年か前疑問に思った苅萱堂の所在についての疑念が再発した。

問題はこうである。
今から55年前、職場の同僚と一緒に長野の善光寺に参詣した事がある。その後寺町をぶらついている時、苅萱堂という仏具屋さんがあって立ち寄ったことがあった。
その名前だけで浄瑠璃や歌舞伎で有名な苅萱道心子別れの苅萱とは、これかと一人合点して覚えていた。
ところが、8年前和歌山方面のツァーに参加し、宿泊した高野山のお寺の前に、苅萱堂があったのである。

途端に私の記憶が動転して狂い始めたのである。
可笑しいな善光寺の前の方だったのに、ここに同じものがあるとは?
前を行き来したり中へ入ったり、しばらく品定めしたが、どうも前に見たのと違わない。何せ何十年も前の事だからこれだったんだろうと、自分を納得させなくてはならなかった。
というのはやはり50年前に、同僚と忙しく高野山を本道から奥の院まで歩き回った前歴があったから、その時見たのを忘れていたのかと思ったからである。

もともとお芝居の話は女人禁制の高野山で母を残して石童丸が一人で父を捜すことから、この悲劇は始まったし、そこで終わったと思っていた。そうすると苅萱堂が善光寺にあるのはどうしてだと疑わなければならなかった。
いつか話した苅萱堂は高野山にあったんだ、善光寺と言ってたのは間違いだったと、私の記憶違いを家内らに詫びた次第だった。

今日の話題から、又もや苅萱堂のことを調べ始めた。
すぐ片がついた。今はインターネットという便利なものがある。ネットで善光寺を調べると、苅萱道心のことが、いろいろな方たちの手で、くわしく語られている。
お芝居でなくて実際の苅萱道心は子供の成長を見届けて、高野山を離れ晩年は善光寺で修行し、苅萱堂往生寺で83歳で亡くなられたとのことなのだ。
従って苅萱堂の本家本元はやはり善光寺にあったという私の記憶は間違いないとの結論だった。
元来、私は苅萱と石童丸の話は幼時親に聞いたか、雑誌で読んだかして、女人禁制の高野山が招いた親子別れの悲劇として承知していただけで、まさかお話が善光寺まで続いているとは考え及ばなかった。
お芝居なら高野山で終わるものを、事実は善光寺まで繋がっていたわけだ。

55年前に苅萱堂が善光寺にあったことを当時何故と疑はなかったことが、記憶の混乱を招いた素因だった。
もちろん苅萱堂は現在高野山にも善光寺にも存在する。私の本来の記憶の在処を問題にしているだけである。
家内にはとくとくとまだぼけていない事を主張したのは勿論である。


karukado
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