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2006年2月18日 (土)

古い日記の一節

 昭和14年9月5日の日記から面白い記述があったのでコピーする。
『家へ帰るにはまだ30分ばかり汽車に乗る間があるのでちょっと福屋を見物しようという事になった。上階から丁度下りて来たエレベーターを捕えて、一番上まで行くことになった。
箱に乗ったのは私と弟と神村ともう一人どこか田舎から出て来たらしい年の頃五十ばかりのおやじさんと合計4人である。「屋上まで参ります。途中お下りの方がごさいましたら仰ってくださいませ」とエレベーターガールはいとも流暢に口上を述べながら、ボタンを押すとエレベーターはするすると上昇し始めた。エレベーターガールの口上が済むとエレベーターのかすかな摩れるような音と、売り場をざわつく人々の雑音のほか何も聞こえない。
重苦しい空気の中で皆沈黙に陥り何か思い耽っている様であった。突然田舎のおやじさんが口を開いて「食堂がある所まで行くんじゃが何ぼうか」とぶっきらぼうに彼女に尋ねた。彼女はちょっと問い方が可笑しいと思ったがためらって「あの六階でございます」と、おやじさんの顔をじっと見詰めながら答えた。
所がこの返答は全然問いの答えではなかったのである。所謂頓珍漢な答だったのである。しかし一瞬私は此のおやじさんが田舎から始めて出て来て、まだエレベーターがどんなものかよく分からない為、こんな問いを発したと見て、恥をかかすまいと思って、彼女がかく答えたのだと感じた。そしてひやりとした。
このおやじさんが尋ねた「なんぼうか」は「何階か」の意味ではなく「幾銭か」との意味と誰にでも気付かれるものだからである。
お客のサービスの為に設けられたこのエレベーターをおやじさんは街の電車か自動車の如く運賃が要るものだと考えていたのであった。
おやじさんは此の答の言外に含まれた意味に気付かず、只彼女が自分の言葉を聞き違えたのであろうとくらい軽く考えたのであろう、「なんぼうかい、なんぼう要るんかい」としつこく訊いた。
突然私は可笑しさが込み上げて来たので思わず顔を背けた。彼女はどぎまぎしながら答えた。「あの、お金は要りません、ただです」不意に隣にいた神村がわっはっはっは…と大声でさも嬉しそうに笑い出した。
私は機先を制せられた形で、可笑しいながらも笑いが止まった。その途端のおやじさんのもみくちゃにされた様な顔。彼は明らかに自分は田舎ものだと痛切に思い込まされたであろう心。彼はやり場のない思いを低い苦笑の声に紛らしたのであった。
私にも彼女にも神村にも小さい弟にも微笑が浮かんだ。しかし私は気の毒なことをしたと、このおやじさんを同情するような気に襲われた。けれどもどうすることも出来なかった。
六階に着いた。彼女がかちゃかちゃ云わせて戸を開けるや、おやじさんはあわてて出て行った。と不意に彼女はかん高い声を上げて笑い出した。
「まあ、あのおやじさんたら靴を履いて」そうだあのおやじさんは古ぼけたソフトに、着物を着て革靴を履いていたのである。
我々は箱の中で歓声を挙げた。革靴は現在統制されて、価格も高くなっており、代用品以外は非常に少なくなっている。
おやじさんはきっと昔に買ったものに違いないが、現在の様に誰も彼も下駄を履いて居るときに、明治初年の様に着物に靴とは、どういう気持ちでいたのだろう。このことが又笑いの種にもなったのである。
おやじさんは食堂へ行くと言った。食券や何かといろいろ煩雑な食堂で、又面食らって失策をしでかすのではないかと、彼のために心配な気がした。
彼は突然我々の前に現れたピエロであったのである。そして彼は名優であった。我々の心は思いの外楽しくなった。
八階へ着いた。エレベーターを出て屋上へ出た。振り返ると彼女は戸を閉めながらこっちを見ていたが、私と顔が会うとにっこりした。思わず親しい気持になった。そして彼の道化役者の偉大なる仕業を思わずにはいられなかった。』

蛇足:おやじさんを笑った私たち3人は学帽に洋服に下駄履き姿だったが、現代人は果たしてどちらを笑うだろうか?

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