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2005年12月16日 (金)

肥くみ

肥くみというと何のことかいなと言われそうだが、暇つぶしに昔語りを言おう。
戦争の前後には、日本国中が食う事が大変だった。
食物の生産者である農民には誰しも頭を下げざるを得なかった。
私も元来農家の子である。だから戦争から帰還したほん一時期えらそうな顔が出来た思い出がある。
が、米や野菜をつくるには、なにしろ沢山の肥料が必要である。
戦争で疲弊した国には、肥料なんかどこにもない。しかし一番手っ取り早い物がある。それは人糞であった。
こればかりは人間のいるところには必ずある。
農民は先を争って人糞の収集に精出した。町場のお屋敷を所嫌わず訪ねまわって、裏の便壷に柄杓をつっこんで、できたてを頂いたりした。量が欲しければ、駅とか役所の公衆便所を狙った。だがこちらは濃度が不足して、ほかの物と混ぜ合わさないと役に立たなかった。
それに顔知りの人に出くわすのが嫌だった。
昔徳富盧花の小説を読んでいたら、世田谷の住処のそばを大量の肥くみ車が列を作って四谷あたりから、ガラガラと帰って来る情景を書いてあったが、私が半年ばかり世田谷の陸軍自動車学校にいた時にも、その光景を目にした事がある。
先日娘のところに御邪魔して、その住まいの狛江市のマンションから周囲を見渡して、住宅ばかりが密集して、田畑一つ見当たらない事に驚いた。
昔、隣の世田谷では、人間の太もも程もある大根を洗っていた、農民のすがたを見かけた過ぎし日の事が夢の様に浮かんで消えた。
が、狛江市のホームページにはちゃんとその事が歴史的事実として書き残されていた。
この付近の人も青山から赤坂まで、肥くみに出かけたらしい。世田谷通りはガラガラと肥え車で凄い賑わいであった由。戦後だんだん人家が増えて若林、三軒茶屋あたりまでで済んだと書いてある。
そんな事はつゆ知らない世代が、今は所狭くごちゃごちゃと住んでいる。

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