« 人間万事寨翁が馬 | トップページ | 音楽カセット談義 »

2005年12月13日 (火)

手紙

私の小さい時はどこの家にも電話なんかありませんでした。他人との言葉の伝達はわざわざ先方まで出向いてするか、手紙を書くしか方法がありませんでした。
だから電話で話したらすぐ忘れてしまうような、又忘れてもいいようなそんな安直な会話では無かった様です。武士に二言はない見たいな、重みのあるお互いの意志の伝達が日常に行われて居たはずです。

私が他郷に遊学したとき偶に届く無学の母の金釘流の手紙に緊張し、涙を流し或いは腹を立て、一喜一憂した若き日の文通の重みは今もずっしりと心の底に堆積しています。この母の手紙の一部はすでにパソコン入力を済まし、大事に保存していますが、この様なことは電話では、録音とかいろいろ方法はあるにしても、その瞬間にその意志が無ければ、霧散してしまいます。手紙という文書があることが大事です。

いつだったか、NHKが放送した「毛利元就」は手紙魔だったと、その小説作者の永井路子さんが仰っていましたが、その現代まで残っている書面によってその人物、時代相が活写され、どれほど役にたっているかわかりません。
手紙はその書いたことについて責任を問われます。当然嘘は禁物です。従って人は真実を疑いません。
後年歴史を研究するものにとって、最も重要な証拠となるものです。

私の好きな過去の人物なども残念ながらその手紙が散逸し、仲々実相が掴めないで、いろいろの研究家が苦労しておられますが、現代では自分の手紙を簡単にパソコン保存が出来ます。なんと素晴らしいことではありませんか。
このささやかなメールでも保存する人がある限りいつまでも残るということは、快感と言わずして何でしょう。

|

« 人間万事寨翁が馬 | トップページ | 音楽カセット談義 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/7597600

この記事へのトラックバック一覧です: 手紙:

« 人間万事寨翁が馬 | トップページ | 音楽カセット談義 »