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2005年12月11日 (日)

人間万事寨翁が馬

確か昭和18年のことである。東部ソ満国境に近い斐徳という湿地帯のど真ん中に沢山の機械化された、当時関東軍でも精鋭と云われた部隊が、十数個集結して駐屯していた。
その中の自動車部隊の兵器係将校をしていた私は、軍の兵器検査で司令部から来られた須賀田少佐以下の検査官の検査を受けていた。
広い営庭に200台くらいの全車両(一等級の兵器である)を並べて一つ一つチェックされる訳である。殆どがトラック(自動貨車と云った)でフォードといすずが大半を占めていた。
この検査の途中で須賀田少佐殿が何を思ったか、ある車の前で俺にやらしてみろと、転把回し(当時の車はエンジンを掛けるのに転把ージャッキのハンドル状のものーを手で回した)を買って出られた。寒いところなので冬などかかりが悪く、初年兵の頃は泣かされたものだが、その厄介な役を引き受けたはよいが、仲々かからない。
そのうち力を入れてかけた際エンジンが逆回転して、手首を転把がもろに叩いたからたまらない。手首が折れてしまった。
即刻野戦病院に入院せられたのだが、翌日担当の係官数名で見舞いに上がった時のことである。
沢山の入院患者の兵隊のベッドの間を掻き分ける様にして、奥の別室の方に進んでいたとき、突然「Yさんではありませんか?」と声をかけた兵隊がいる。驚いて見ると、某学校の時1年後輩で、同じ素人下宿に住んでいた私と同じく音楽好きで、四六時中アコーディオンをかき鳴らしていたM君。何でこんな所に、どうしたのだと聞くと野戦重砲のキャタピラに足を踏まれて、歩けなくなったとのことだった。
その後1ヶ月も経たないうちに手遅れになった盲腸炎の手術で私も入院を余儀無くされた。手術の翌日痲酔が切れて痛みにうなっていたとき、M君が枕辺にやってきて、「牡丹江の病院に今日後送されることになった、いずれ内地に送還されることになるらしい」とのことであった。痛みで頭も上がらず目蓋をパチパチさせてのさよならだったが、しかし内地ならいいではないかマアおめでとうと云って、松葉杖の痛々しい彼を見送ったのだったが、結局この彼も賽翁の馬に乗って帰国出来、それ以来会ってはいないが先祖以来の酒屋さんを堅実に経営していて、つい昨年だったか亡くなったらしい。
賽翁の馬というのは彼が居た野戦重砲部隊は間もなく南方に転用され、バシー海峡で米軍の潜水艦に攻撃されて壊滅されたらしいとの風聞を後で聞かされたからである。私も部隊が翌年早々中国中南部の作戦に転用され、おかげでシベリア抑留を免れ、今日まで生き永らえている。やはり運命の悪戯と云うべきかも知れない。

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