2009年11月15日 (日)

町内の大掃除

町内の大掃除の日。といっても道路などを掃くだけで、溝さらえなどはしない。楽なものである。しかし8時半は早いのか誰も出て来る気配はない。
家内と二人で隣の領分まで済ます。
家内は皆が出て来るまで帰らない。班長だから仕方がない。

私は腹の調子がいくらかよくない。便秘と下痢がないまぜになって具合が悪い。とうとう掃除を止めてトイレに走り込む。

今朝のテレビで23年前に発刊された,"思索の整理学”という本がよく売れてるという。現代人はあまり考えなくなったという反省かららしいという。そうかなあと思う。もっとも考えるという事もいろいろあるから、何を考えるかが問われるのだろう。考える動物というぐらいだから,人間は四六時中何か考えている。誰でもすることである。
こんな本が売れてもしようがないのになあ。

午前中の昼寝の時,不思議に従弟の三郎の夢を見た。疎遠のまま10年ぐらい前に亡くなった男である。小さい時にはよく手下にして,遊び歩いたものである。それでも意地悪で有名で大人を嘆かせていた。
夢なのにえらくまじめな口調で私が説教したのに驚いて目が覚めた。
なんで今頃、夢というもの不思議だなあ。

今朝の7時半の気温は9度だった。曇空だから12時近くなっても16度にならない。
ベッドから抜け出るとやけに寒い。厚手の半天を背負ってパソコンに向う。足温機にスイッチをいれて。
念のため部屋の中の寒暖計を見ると19度だ。なんだこれで寒がってはと自分を叱咤する。
老いぼれると情けない。一事が万事こうである。

人には誰でも躁鬱の気があるものだが、私は今幸いに躁の状態にあるらしい。勢い猛に荒磯温泉に車で出掛けんとしている。連れて行かれる家内はどうやら尻込み加減だが。しかし雪でも降り出したら駄目だ。後旬日。どうなることやら。

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2009年11月13日 (金)

大銀杏の驚き

夜半にかなり降ったらしい。庭の木立が濡れそぼっている。朝の気温14度。昼になっても上がりそうにはない雲行である。
昨日温井ダムに出掛けておいてよかった。
この年齢になると一日一日が大変重要である。取り逃がすともう取り返しがきかなくなる。
今度のさざん会も二人だけの大会というわけだが、もう大会というには到底あたらない。止めようかと思ったのだが、止めれば取り戻す事は出来ない。後悔しても間に合わない。

来年のさざん会は岡山の山田君にお願いするつもりだ。先般電話で話した時来年元気ならやっても良いと云ってたから,条件付きではあるが承諾したということだ。坂口君も来年広島でやれというけれど,岡山ならなお近くて行き良いだろう。
土田君は4月の初めに胃がんの手術をしたのに、元気を出して今回さざん会を引受けた。やる気があれば出来る。
今度が35回目である。継続の火は何とか絶やしたくない。来年は満90歳。終るにしても切りが良い。

今日はどんよりと重そうな雲が空を覆って,気温は上がらない。
寝るに如かずとベッドに朝10時過ぎからもぐりこむ。昨夜から掛けた電気毛布のスイッチを入れる。ぽかぽかとすぐ温かになる。私は体温が本来上がらないたちだから、こうしたコタツ類の助けを借らないと眠れない。今までは電気敷き毛布を使って居たのだが、冬が深まるとそれだけでは駄目なのである。掛け布団も3枚が限度でそれ以上は重くて息が詰まる。
というわけで電気掛け毛布の登場となる。

昼は家内からのブザーで起こされてうどんを食べる。食っては寝だからいっこうに瘦せられない。うどん、パンくらいが丁度よい。
風が治り,咳も完全に止まった。医者に貰った咳止めも何日分か残っている。
昨日の温井ダム行きも、身体にこたえなくて全く心配ない。
24日の荒磯温泉行きが楽しみになって来たほどだ。
(昨日書いた大銀杏の写真、幹回り人と比べてみて、大きいことがよくわかる)Img_1482

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2009年11月12日 (木)

温井ダムと大銀杏

いい天気になったので紅葉狩りをかねて温井ダムまで行く事にする。
内藤には半日休診なので明日行く事にする。明日は又雨という予報だし。
自動車運転慣らしと云う意味もある。

10時半家内と二人で家を出る。宮島SAから高速道に入り,加計出口から出て温井ダムに向う。1時間で到着。温井スプリングは商売を止めたのか、閉ざされたまま。ダムの周辺をうろつく。結構物好きと思われる連中が沢山居る。周辺の山はさすがに色づいて美しい。風が出て少し寒い。ジャンパーの襟を立てる。家内はしまったマフラーを持て来るんだったと叫んでいる。谷風が厳しいが山陰に入ると遮られる。先だって訪れた湖畔のお社は今回は遠慮した。

ダムの食堂に入って食事。老夫婦らしいのがやっていて、あまりおいしくはない。
程々に切り上げて,大銀杏を見る為に筒賀に向う。戸河内交差点の大きな表示を見て,迷う事なく到着する。沢山の車が狭い道を行き交う。
大銀杏は神に祭られて側にお宮が建てられている。1200年の古木だそうだが,さすがに凄い風格である。
根幹の太さは十米はありそうである。
カメラマンが取り巻いてぱちぱちやってるが、大きくてなかなか写真に納まり難い。
近くの戸河内ICから高速に入って午後2時には帰宅出来る。
浜田に行くちょうど良い車慣らしになった。
Img_1479
Img_1480

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2009年11月11日 (水)

多少の縁の森繁久彌逝く

森繁久彌が亡くなった。袖擦り合う様な縁だったが、私にも彼との触れ合いそして思い出は数々ある。
皮切りは昭和15年新京の会社に就職した年である。同僚に誘われて新京放送劇団なるものに入った。
いの一番に早口早言葉を習った。師匠がこの森繁久弥だった。
軽妙な早口、ぽんぽん飛び出すだじゃれ、田舎育ちの私には異様な存在であった。
放送劇のお膳立てにやられる偽装擬音装置など、お手の物のごとく彼がパタパタとやってのける。感心したものである。
私が関東軍に入隊して二年目だったか,新聞に”黒龍江の畔に立ちて”というルポルタージュが表彰されたと出た、作者は森繁久弥とあった。
戦後昭和21年私は上京して職を探し求めていた頃、ふと新宿のムーランルージュに入っていた。
プログラムを見て驚いた。喜劇安宅の関の主人公弁慶役に森繁久彌とあった。実名でとはおかしい。
聞き耳起てて聞くと,扮装は弁慶でも声は森繁久弥そのものだった。驚いたなあ。満州から何時帰っていつ商売替えしたんだろうと。

その痕間もなく、NHKの一番組で藤山一郎と組んで出始めた。だじゃれのうまさはやはり彼のものであった。あの男もなかなかやるなあと思っているうちに、雲を得た竜のごとく演劇の世界に君臨するに至った。

7日には無二の親友を失い,10日には身近な存在のごとく敬愛止まなかった彼と、再会の機会を得ることは永遠になくなった。私自身の生涯ももう極まったと感ぜずには居られない焦燥すら感ずる今日一日である。
(写真は新京放送劇団全員、後列左端が森繁久弥、後列右から3番目が私/昭和15年)Sinkyougekidan

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2009年11月10日 (火)

孫帰京、カナリアの声まだ聞きたい

朝の気温16度と昨日と同じ。温暖化現象続いている感じ。
孫は無事着いたか,連絡無し。現代は無事が当たり前の時代だから,沙汰がなければ無事という事か。
霧深く島影一つ見えず。

孫一人居なければ,我が家はまるで隠者のさと。暖かい筈の部屋の中、しーんと淀みない空気が,心の中を凍らせる。

周平の小説なんか読むと、昔は子がいなけれ必ずどこからか子供を貰って来て、養子として家を継がせる目的で大事に育てる。その子を中心に一家団欒が発生する。
今は子がいても、親元を離れてどんどん手の届かぬ所へ行ってしまい、孫などは爺婆が思う程の親身のねばっこさは、もうない。

こうした世相がいいのか悪いのか、私にはわからない。一面気楽な様でもあるが,老いさらばえてゆく、孤独の寂しさは人という動物の業か。

午後2時雨が降り始める。しょぼしょぼと。いい潤いである。

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2009年11月 9日 (月)

会者定離

昨朝と同じ様な雲行、気温16度驚く。
道理で昨夜は蒸し暑く寝苦しかった。親友の想いばかりではなかった。
晴子に宮島ゆきのビデオなどDVDを作成して持たす。

便秘事件以来排泄は極めてうまく行っている。おかげで体調もいい。
一日の安心感が違うらしい。

身近にいた親友が居なくなった事は、なにか大きな隙間が出来たようで、気にするなとたしなめながらも矢張り気になる。いつも彼が思い出した様に電話して来たが、よく判るその気持ち。いつも待ち続けていたこの俺。その僅かな均衡のうちに存在した友情。長い長い、然も強い強い友情だった。
私が18歳、鳳陽寮東北棟第46号室、生まれて始めての他所での生活、同室に彼は居た。運命の扉がそのとき開いた。
爾来71年、離ればなれの時もあったが、編隊飛行のごとく近く遠く飛び続けた。

あの生死を掛けた中国の戦場でも、お互いその存在を知る由もなく、運命は二人を同じ戦場に近づけたり、遠ざけたりし続けて5年間を過ごしていた。

戦後、私が事業に失敗して、途方に暮れていた時思いがけなく,うちに来んかと呼びかけてくれたのが彼だった。そのとき以来46年間もう何時も指呼の間にあって交際の絶える事はなかった。
古今東西オンリーワンの親友。会者定離、かけがえはもう何処にもない。

11時半家を出て,晴子を駅まで送る。最後まで明るい顔をしてバイバイする。一月後には今度は東京で会う事になる。

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2009年11月 7日 (土)

親友横山君悠久の彼方に去る

今朝は気温14度もあり、曇り空。天気はなんともいえないな。
もみじにはまだ早いが、せっかく孫が東京から来てくれたので宮島を案内する事にする。
家内も私もすっかり元気を取り戻したのでよかった。孫の明るい顔がよけいに刺激を与えてくれる。

10時家を出て、宮島へ。案外道路が空いていて、駐車場は満車の所が多かったが、桟橋からかなり離れたところに空いてる所があって難なく入れる。
連絡船はやはり一杯の客。団体が多そうだ。
孫は随分永く来ていないというので、正規のコースを案内する。回廊の末端を出た所でお昼前、早速近くの食道を捜して入り、名物のあなごめしを食べる。おいしいと孫も喜ぶ。

店を出てから今度は紅葉谷公園に向う。まだ10日は早いのだが、それでも結構色づいた木々は多い。
ぞろぞろと観客も少なくない。
十分秋の景色を堪能して帰路に付く。
あまり歩いたとは思わないのだが、足の疲労感は激しい。老化が進んだという事だろうか。

4時帰宅して間もなく、横山君の息子さんから、今日先程11時過ぎに父が亡くなりましたと電話が入る。驚く。先般転んで入院したのだが、脳内出血が悪化したらしいとのことだった。
いずれは死ぬ身死は仕方がないが、転んだのが原因とは、柔道マンだった彼の最後にふさわしいきがしないでもない。私より年長だから先にいっても仕方がないのだが、これから先が急に頼りなくなった。
身辺にもう往古を語るものなしである。嗚呼!寂しいかな!

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2009年11月 6日 (金)

カナリアの囀る声

快晴がつづく。今朝も11度だからまあまあ暖かい。
家内が東京へ電話した所晴子がどうやら今日うちへやってくるらしい。
家内はあわてて布団や毛布を干したり準備に忙しい。食わすものも準備しなければならないだろう。夕食は外で食うかと提案する。

何をしに来るのかという思いもあるが、なにせ久しぶりに逢えるのだから楽しい。
我ながらうきうきするのがわかる。

空は真っ青に晴れて雲一つない。明日あたりさっそく宮島でも案内するか。

今度のさざん会に土田君が言ってる様に家内を連れて行こうと決心する。家内はなかなかうんとは云わないが,最後だから無理にでも引っ張って行こう。荒磯温泉はリウマチにもいいらしい。

夕方さんざん待たされた晴子がやっと広島に着いたよと電話をくれる。
会席膳の招待券を貰ってたので、其処に行き食事をすることにする。
駅に老夫婦が迎えに出たので、めんくらったようだが、その足で食事に廻る。ともかくも懐かしい。
先方はこちら以上に嬉しいのか速射砲のようにおしゃべりを連発する。
親父が生前かわいがって飼っていたカナリヤを思い出す。

ひさしぶりな賑やかな家族団らんだった。
もっともお店はがらがらで、私らの借りきりの様で申し訳なかったが。

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2009年11月 5日 (木)

岩見重太郎の仇討ち

朝気温11度、雲多し。
家内は今日も市民病院通い。手術痕の抜糸か。
広電で出掛ける。約1時間行程。駅まで送る。

土田君から電話、水戸君に出席を促しておいた由。東京の橋本、田島,松岡、田淵の4名欠席、横山、山田も欠席のハガキが届いている由。予想通り。今の時期は皆嫌だろう。

正午過ぎ家内帰宅、井上に立ち寄ったらしい。

娘の云う事には今は天橋立は立ち入り禁止になっていて中には入れないという。
家内を連れて行ったツアーはホテルから見たり、ロープウエイで上がって見たりで、遠景ばかりを見ただけだったという。中は通らなかったよと裏付ける。なんだい!それでは駄目だ。岩見重太郎の碑は見られないではないか。
50年前私が歩いたこの松原は、ながいながい白州の松原だったが,松の一つ一つが年代があって懐かしかった。岩見重太郎はここで日本三大仇討ちの一つをし遂げたのかと,随分感心したもんだったが。

考えてみればあのまま放置したら枯れたり痛んだり,今に残らだったかもしれないな。
やっぱり観光客にぞろぞろと歩かす訳には行かないだろう。
岩見重太郎も従って人の口から消えて行くわけ。しかたないな。

同じ日本三景の一つ宮島は昔を今に残す為大変な努力を重ねている。
人間災害だけでなくこちらは自然災害が最近特に激しい。天橋立はどうなのだろう。同じ自然だから砂州が削られるとか,松が倒されるとかやはり大変なのだろうな。

私はそんなことを知らずにツアーに応募したのだったが、病気になってよかったかもしれない。

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2009年11月 4日 (水)

今の世は便利が良すぎて住み辛い

朝快晴、気温4度最低。
昨夜は羽布団一枚増やして寝たので暖かく、快眠出来た。
肛門や腸の具合はほぼ完全に治癒した。普段よりは便通具合などはよいくらい。力む事も何もない。
むらをなくする様にしなければならないなと自戒する。

家内がしきって医者に診てもらえというので、現在は治っているのですがとおそるおそる相談に行くか。先生も忙しくてご迷惑だろうに。

家内に持たしたデジカメのSDメモリー、便利なようで厄介なのだなあ。
SDは大きさが3種類ある。アダプター付きでミニ、マイクロとコマゴマしていて覚え難い。どれにどれが入っているのか、カメラかパソコンに入れてみないと判らない。
初期化すればくりかえし使えるのだが、大切な記録は永久に消滅してしまう。
写したらすぐパソコンに記録しているのだがこれも明日が知れぬ器械だからなあ。
撮った枚数もわからない。相当整理をよくしないと混乱する。いやもう大混乱している。
それにこんどはムービーカメラもSDマイクロが付いている。老人の頭に混乱の種をまきつけたことになったようだ。
便利の裏返しが案外怖い。

11時せいこう胃腸外科に行く。便秘の診断を受ける。便秘時の心得を聞き薬を貰う。また肛門内の状態も診てもらい、完治の確認をいただく。

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2009年11月 3日 (火)

アップル益々元気

朝7時半快晴、気温6度やや寒い。やはり寒波が来たか。風がないから昼には暖かくなるだろう。
今朝まだ肛門から無色の粘液が少し漏りパンツを濡らす。家内はやはり医者に行くべきだと仕切って言う。便は少ないが普通に出ているのだが。
しかし今日は休みだしなあ。

あれだけ良く晴れていたのに,10時半になると、空半分は黒雲まじりの雲に覆われてしまう。
当市の予報気温は最高16度となってるが、この調子ではさあどうだろう。今朝の気温は5.9度と正にぴったり合っていた。

乾癬は最近はずっと良くなり,チガソンは一日おきに呑んでるが,塗り薬は忘れる事が多くなった。
皮膚のザラザラは取れないが、痒くないのがよい。
活力がなくなったので、乾癬も元来が免疫反応だから、活力が鈍って皮膚へのいたずらが小さくなるのだろう。

今月のパソコン雑誌を見ると、アップルは秋の新体制でウインドウズは勿論レナックスもインストール出来て万能のパソコンを達成したらしい。ウインドウズは最近発売した7もインストールして使えるという。
ipod、iPhoneで正に世界を制覇し、巨利を挙げた余勢をかっての新布陣か。
価格も寧ろ引き下げた布陣体系でファンを喜ばせてくれる。
寿命があれば、すぐにも飛びつきたいのだがなあ。
アメリカはまだまだ老いては居ない。GMは引っ込んだが、いくらでも次が居る。

昨日は老齢を理由に永年愛好したリンククラブを退会した。逐次身辺を整理していかねばならない。
新しい踏み込みはもう無用だろうか。

午後3時過ぎ岡山の山田君から電話で足が痛くて歩き難く今回は出られないが、来年は何とか治して幹事でもやりたいからと元気な事をいう。横山君が転んで怪我をして入院しているが知ってるかという。驚く。夏に電話で話をしたのだがその後無沙汰で知らなかった。
昨晩は水戸君が座骨神経痛で遠距離は無理だとメールを送って来たが、不参加が多い。
みんな何事か起きる年齢だから仕方がない。

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2009年11月 2日 (月)

天気も体調も変調

昨日の雨はどこへやら、朝から雲一つ見えない快晴の天気。
寒気襲来を告げてたが、今朝8時の気温14度とそれほど寒くはない。風は少しあるかな。
便通も普通に帰ったし、一騒動に終った感じ。人生ままあるさ。

10時雲張り出し急に天候悪化し始める。11時小雨降り出す。あわてて洗濯物を入れさす。

土田君から美都町の寺井正運君に案内を出してくれと電話がかかる。いまだ一度も出て来たことのない男だが同じ市内でやるさざん会なのに招待しないではという。それもそうだなと、早速したためてポストに向う。

正午又雲間から日が照り出す。おかしな天気。
午後3時現在照ったり曇ったりしているが,風が強く気温も12度に下がっている。
遅まきながら寒気到来という次第だ。

我が体調も今日の天気のように、腹具合が安定しない。朝と先程と二度も排便する。いくらか下痢気味なのかも知れない。便秘とか下痢とか一体どうなってるんだといいたい。
食うのはホン申し訳程度食ってるだけというのに。
指で掻き出したのが悪かったかな,肛門は顔つきに似ず繊細な臓器だから。

家内の天橋立行きに大いに期待して,私のデジカメを持たしたのだが、うっかりメモリー(SD)が京都でいっぱいになり余分を持たせなかったので、写せなくなったよし。
見てみると天橋立の写真は一枚もない。がっかり!その前にいろいろな所で沢山撮ってた奴だから,運悪く京都南禅寺で満タンになったわけ。

ロープウエイでインスタントカメラを買ったというが、下りるとすぐ伊根に廻ったのでそこでおしまいということ。その後は雨で行動もままならず、出石でお城の回りをちょこちょこしただけとのこと。カメラの中身は現像屋に持参しなければわからない。
まあいいか、又日を改めて出掛けるよと口ではいったんだが。
(写真は昭和30年私が訪れた時のもの)
Amanohasidate

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2009年11月 1日 (日)

続便秘物語

いやに暖かいなと寒暖計を覗いてみると、20度となっている。午前7時半でそれである。
何かが狂っている感じ。

昨夜私の肛門は健全であると宣言したが、今朝起きると調子が少しおかしい。
小便をしに便器の前に立ったのだが、小便が出ると同時に、何だかパンツが濡れてる感じがする。
し終わっておそるおそるパンツを覗いてみると、肛門部の周囲が丸く濡れている。
やはりこちらも漏ったのだ。ぞっとする。
なぜこんなことになるのだろう。
便器にしゃがんで、指を肛門の奥深く入れてみる。肛門は腫れぼったくなっているが、もう痛くも何ともない。肛門の中もぬめっていて、糞のかけらもない。指について来るのは粘液だけで臭いも何にもない。今年の始めに胃カメラを呑んだ事があったが、食道や胃袋の内壁が美しく、自分ながら感心しながら画面を見た経験があるが、それと同じ感触である。

肛門も腸も悪くないとなるとこれは機能の問題である。
医師に診てもらう以外にないなと悟る。今日は日曜日だから明日以降何処かへ行こう。決心をする。

以上が我が続便秘物語である。

丁度折よく家内の友達の元看護婦婦長さんから電話がかかった。医者でなくてもこのぐらいのことならいいだろうと質問を繰り返す。
現在は無色無臭の汁みたいな液体が漏って肛門の周囲を濡らすだけなのだが、いじり過ぎたのが原因でそのうち止まるだろうとのご託宣。やった安心する。もし止まらないようなら医者に行けということだったが。

食欲とは不思議なものである。昨日今日すっかり食欲がない。それで朝はパンとコーヒー、昼は近所にうどんを午後1時に勿論一人で出掛ける。いつもうまいと思って食べてたてんぷらうどんが全然味がない、塩辛いなと思うだけである。うどんも味がなく何を食べてるか目をつぶるとわからないだろう。食い終わっても満腹感はおろか食べた感じはしない。
こりゃもう駄目だ。正に病膏盲に入りしかである。

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2009年10月31日 (土)

便秘物語

今日は大変な一日だった。というより昨晩からだから夜から昼一杯というべきだろう。
他人から見れば笑い話に過ぎないのだが、当人にして見れば命がけという程苦しんだ。
簡単にいえば便秘である。
糞詰まりといったほうがあたるかな。

夕方から便が出そうで出ないものだから1時間おきぐらいに便所に屈む。力めば力む程肛門は膨らみ、痛くて堪らなくなる。
明日からの旅行という事があるから、もう何も耳に入らない。
私が行きたいと言い出した旅行だから何だか責任も感ずるし。

とうとう肛門に指を突っ込んでかき回す。なにか石の様に固い固まりが出来ていて口を塞いでいる感じ。
指で触ると奥に押し込む形になって、なかなか引っ張り出すというところまで行かない。耳かきをつかったり、家内の手助けを借りたり大騒動になる。とうとう深夜になる。いささか疲れ果てる。
旅行はもうだめだとあきらめ、家内に一人で行けと宣言する。

深夜も便所通いをつづけて、やっと固形の一部をとりだし、それをきっかけに逐次分細化してぼつぼつと出始める。
朝5時、家内も起き出して旅行の準備を始める。

6時半車で家内を駅まで送ってやる。
帰宅してから一寝入りしては便所入り。

食事も朝、昼パンを齧っただけで寝ては起きると便所へゆく。
夕方になってどうやら円満に開通したらしい。残滓がごそごそ続いて出てすっかり楽になる。
その代わり肛門は大変である。自分では見えないがふくれあがって、花びらの様に外向きに開いている。
このままでは困るなあと、早風呂に入って暖めると、お湯の力はすばらしい。15分もすると元の形に治まったらしい。
どうやら我が肛門は依然として健全な様である。

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2009年10月26日 (月)

妻の手の手術

台風20号が沖縄南方まで来ていて、天候は益々悪くなりかけている。今回も日本列島の南方沿いに北上するらしいが、雨はかなりふることだろう。

家内は今日広島市民病院で指関節の手術をしてもらう事になっていて、正午には家を出なければならない。
終るまで待って連れて帰るつもりで居る。
朝から何だか落着かない。

正午少し前に食事を済ませて家を出る。車は少なく順調に市民病院に着いたのだが、駐車場になかなかはいれない。それでも空きが早くできて、12時半には病院に入れる。

手術開始は2時半だから待つのが大変である。一応受け付け登録だけは済まして、近くの広島城趾公園に菊展を見に行く。
隣家の植野さんが大きな菊を今年も沢山作って出展されていた。御主人にもお会い出来る。
家内が病院に引き返した後も私は久しぶりの城をあちこち歩き回る。2時半に病院受付に着いたが既に家内は手術室に入っていて、待合室で待たされる事になる。だいたい1時間はかかりますとのことだった。前の人が済んでもなかなか家内が出て来ない。
3時の予定が4時半になってもまだ出て来ない。何かあったのではと心配になったので受付嬢に尋ねる。別段何も連絡ありませんという。ちょっと永いですねえという。麻酔の切れでも悪いのではともいう。だいたい術後30分休む慣しだそうだが、中にはそれが長引く事があるという。とうとう5時になってドアの向こうに家内の姿が見える。腕を三角巾で吊って元気に出て来る。
どうしたんだというと、なにやら他の所もやったようなことをむにゃむにゃという。
家内も永い手術でいささか草臥れたらしい。

帰宅しても食事をするや否や、寝床にもぐる。腕の具合が悪いとぐずぐずいいながら。
麻酔が切れたらまたがたがた言い出すのではと恐ろしく、私ははやばやと二階の部屋に逃げ込む。
小指の関節の手術と思っていたら、手のひらから腕にかけての大手術であった。
月末の旅行も難しくなりはしないかとそれもも一つ心配になって来た。

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2009年10月24日 (土)

有終の美を飾らしたい

連日の快晴が今日は崩れそうだ。灰色にすっかり覆われて8時現在夜がまだ明けきらぬ感じ。気温15度。
風邪は何とか治まった感じ。咳は殆ど出ない。
朝食もまあまあおいしく喉を通る。

冴えない天気のまま一日が終わらんとしている。島根の行商のおばあさんが亡くなったそうな。98歳とか。大した患いも無く突然亡くなったそうだ。大きな荷物を背負って一年には何度もうちの店にやって来たもんだったが、何時頃か娘に仕事をゆずったのだったが。親子二代で随分長い付き合いだったなあ。もっとも家内の話だとずうずうしいこの娘に、又この年末には買わされるらしいが。
地図を開いてみると、島根半島の最北端に”多古の鼻”というのがあるが、その多古からいつもやってきたらしい。今でも広島からでは大変な距離である。

歳月人を待たず、どんどんあの世に旅立って行く。世の習いだから仕方がない。次は我が番の筈だが、なかなかお呼びがない。

弟から先程も電話がかかって、使っていたワープロが故障したので修理を頼んだが部品がないのでと断られたという。仕方がないのでパソコンを買う事にした。どんなのがいいかと意見を聞く。娘の古いのを貰って使い方を習っているがさっぱり使えないという。娘も就いて居れないので、新しいのを買って講座を受けなさいというらしい。
今からではそうするしかないかなあ。暇なんだからいいではないかと言っておく。

習ってもコロコロ忘れて行くのが早い年齢だからやっぱり難しい事だ。
私の様に習うのは止めてマニュワルを一生懸命に読みこむ事あるのみなのだが、殆どみなそれが出来ないらしい。
弟も字慣れが悪い口だから駄目かな。

土田君からのさざん会の件どうしたらいいかまだ迷っている。風邪の具合が悪かったりでとても駄目だと思っていたが、良くなって来てみると、またやらんといかんかなあと思ったりする。
もしやっても今回で終りになる事はほぼ間違いない。誰しも有終の美を飾りたい。県の頂点を極めた男だから当然その慾は深いだろう。飾らしてやるか!

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2009年10月23日 (金)

咳が気になる

朝7時半目覚める。昨日の疲れからかよく眠れる。気温12度、快適の青空、沖合の島々は僅かに霞んでいるがこれ以上は望むべくもない。春先から夏にかけて殆ど青空を見た事がなかった毎日がまるで嘘のようだ。
陽光が2mは十分部屋の中まで射し込んできて温かい。

数日来の風邪もどうやら治まったらしいが、まだ咳だけ残って突然咳き込んだりする。
咳は何時の時にもしつこい。半年もかかった事が過去に逢った。あの時は交通事故に引っかかって、入院中毎日点滴を受けているうちに治った。運良く副作用で治った訳である。

今回も点滴を受けたが1回ぐらいではどうにもならない。
家内は点滴をしてもらいに行けと薦めるのだが。
昔終戦時中国から帰還の徒次上海で胸をやられ地を吐いたことがある。軍医の見立ては結核の初期ということだった。間もなく帰国してしっかり農作業に精出し栄養を摂取して回復したが、後遺症としてははっきり残された。
戦後間もなく行われた公務員試験にも身体検査で引っかかり完全治癒まで保留とされた。その他再三の定期検査には何時も引っかかって再検査を受けることになった。
爾来胸部の弱さはいつも気にかかるところである。

親父も肺炎で死んだが、私も死ぬ時はそんな病気だろうと思っている。
咳がいつまでも撮れない事は矢張り気になるな。

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2009年10月22日 (木)

極楽寺山に登る

朝7時半、少し霞がかってはいるが、いい天気である。気温11度5分。
風邪はもう治ったと言っても良いのだが、時折咳が思いついた様に出て来るから油断ならない。
薬はまだ残っているので朝晩呑んでいる。
若い日の様にすきっとは決まらないのだな。
朝初めてストーブを入れる、やはりあったかい。

鼻汁が沢山出て時折鼻をかまなくてはならない。やはり風邪は治っては居ないな。体調が少し軽やかなだけかもしれない。

試しに極楽寺に登ってみる事にする。標高661mの極楽寺への曲がりくねった道を午後1時半から車で行く。
家内もあまり賛成していなかったが、仕方なくついてくる。
今は歩いて登る人は僅かで、今日あたりもほとんど車の人ばかりである。5台6台とあちこちの駐車場に止めてある。
キャンプはもうシーズンオフだから殆ど見かけなかったが、ハイキング仲間らしいのは見かけた。
写真を熱心に撮ってる人も相変わらず居る。

蛇の池周辺はよく整備されている。極楽寺からの眺めはあいにく霞んでいて、よい眺めとはいえなかった。
私たちの様な老いぼれはまるでみかけない。
やはり山は山、場違いなのだろう。
帰路速谷神社にお参りして帰る。ここもこの時刻は誰もいない。

全山紅葉にはやや早いか、その感興にまだひたるわけにはゆかなかった。
帰宅したのは午後4時を少し廻っていた。つるべ落としの夕日が眩しい。

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2009年10月19日 (月)

しつこい風邪

朝の気温13度。機嫌の良い秋の日和だ。
熱は下がって体調は戻ったかに見えたのだが、咳がとれない。ときどき咳き込んで息が切れるのではと思う程である。
横になると特にいけない。従って寝ても居れない。
楽な方の椅子に寄りかかって,日向ボッコしながら音楽を聴く。ベートーベンの大公トリオ、J.シュトラウスのウイーンの森の物語、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、ベートーベンのバイオリン協奏曲のクラリネット版などとつづく。2時間ぐらいあっという間である。20時間分くらい自分で好きな曲を録音して置いたDVDアルバムの一つだから、夕方から夜になっても手をかけなくて大丈夫である。そのうちうとうとする。
こんなのは風邪に良くないかなと思ったり。

昨日の姪の結婚披露宴では家内が来賓の年長者だったそうで,大事にしてもらったとか。
さざん会の件も気になるのだが、体調に自信が持てない現状では,喜んで行くよとも言えない。
土田君にはどうしても返事がすぐには言い出せない。

この31日に予約している阪急旅行社の天橋立1泊ツアーを無事に通り抜けられたらという事にしたい。

今月のMac関係の雑誌をあれこれと読んでみると、皆インテル製のプロセッサーに移った器械を主体にしていて、私のPower Pcではお呼びが無い感じ。やはり老人はこの世界でも置いてけぼりである。
もうついていけないな。

生涯絶えず前向きに歩んできた私も、ここに来て能力の絶壁を感ずる。越すに越せない高さである。
もう諦めろと絶えず後頭部から呼びかけてくるささやきが聞こえる。

午前11時せいこうに出掛ける。喉の痛みが無くなった程度で,咳はひどくなるし、痰や、鼻水は多くなるし、症状はどちらか言えば悪化した。従って点滴をしてくれた上、抗生物質など薬の量が増える。

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能力の限界

朝の気温13度。機嫌の良い秋の日和だ。
熱は下がって体調は戻ったかに見えたのだが、咳がとれない。ときどき咳き込んで息が切れるのではと思う程である。
横になると特にいけない。従って寝ても居れない。
楽な方の椅子に寄りかかって,日向ボッコしながら音楽を聴く。ベートーベンの大公トリオ、J.シュトラウスのウイーンの森の物語、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、ベートーベンのバイオリン協奏曲のクラリネット版などとつづく。2時間ぐらいあっという間である。20時間分くらい自分で好きな曲を録音して置いたDVDアルバムの一つだから、夕方から夜になっても手をかけなくて大丈夫である。そのうちうとうとする。
こんなのは風邪に良くないかなと思ったり。

昨日の姪の結婚披露宴では家内が来賓の年長者だったそうで,大事にしてもらったとか。
さざん会の件も気になるのだが、体調に自信が持てない現状では,喜んで行くよとも言えない。
土田君にはどうしても返事がすぐには言い出せない。

この31日に予約している阪急旅行社の天橋立1泊ツアーを無事に通り抜けられたらという事にしたい。

今月のMac関係の雑誌をあれこれと読んでみると、皆インテル製のプロセッサーに移った器械を主体にしていて、私のPower Pcではお呼びが無い感じ。やはり老人はこの世界でも置いてけぼりである。
もうついていけないな。

生涯絶えず前向きに歩んできた私も、ここに来て能力の絶壁を感ずる。越すに越せない高さである。
もう諦めろと絶えず後頭部から呼びかけてくるささやきが聞こえる。

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2009年10月18日 (日)

もう無理の利かない年齢

朝の気温12度、ちょっとひんやり。熱はもうない。
食事もさらさら喉に入る。せきもあまり出ない。
やっと風邪から解放された感じ。

家内は姪の真理ちゃんの結婚披露宴出席のため岩国に出掛ける。駅まで送る。
私も招待を受けたのだが、かぜを予測した訳ではなかったが、何年も逢った事が無い遠い縁の子の披露宴に出た所で、あまり元気の無い老人が1、2時間も座って居るだけでも苦痛なのでお断りしていた。
たまたま風邪を引いていてそのタイミングがよかっただけだ。
風邪が完治とまでは行かず、今度はやたらと鼻水が下がる。チッシュが忙しい。

昼になりさて何を食うかなと台所に行く。電気釜の蓋を開けてみると、昨晩の鶏肉と野菜の混ぜ飯が収まっている。
ははあ、今日の留守に食わすために昨夜はこんな面倒なものをつくったのかと思い返す。
引き出しには卵スープのもとがちゃんと用意されている。お湯を沸かせば、スープもお茶も一度に片がつく。
賢い奴だなあと呆れる。

午後も3時になると日本晴れのいい天気になる。そよ風しょうしょう。
土田君から突然電話を頂く。いつか彼が言い出していた浜田でさざん会を主催するという話。言い出しっぺの責任からか、11月下旬でよければ近くの温泉に場所をとっても良いから出て来ないかという。水戸君と打ち合わせて一緒に広島から来たらいいのではと。
早速水戸君に電話をいれて話してみたが、やはり大阪から浜田では遠くて簡単ではない。
水戸君も抗がん剤のお世話になってる最中である。身体に自信が持てない。無理してでもというわけには行かないようだ。

私も今回思いがけず風邪を引いてみて、体力の無さに一驚した。とても無理が出来る状態ではない。
もう暫くは寒くなる一方で、簡単には暮らせない。もう余分な事はしない方がいいとそんな気分に落着きそうである

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2009年10月17日 (土)

サンフレッチェなんとかしろ

日射しはあるけど雲が多い。朝7時の気温15度。
昨夜と今朝の体温36度5分前後と平熱。気分も悪くない。風邪はほぼ退散したようだ。ときおり咳がでるけど。

今度の風邪の原因がよく判らない。強いて推測すれば、寝てる時に身体が冷え過ぎたのではと思う節がある。
夏からずーっと窓を一部開放しつづけていること、夏布団を使用し続けたこと、が自分ではそれで良いと自覚していたが、肝腎の身体の方は冷やされ過ぎたのではないかと。

昨日本屋で藤沢周平の”未刊行初期短編”と銘打って今年9月初めて刊行された文春文庫本「無用の隠密」というのを見つけた。
彼が作家デビユーを果たす以前に書いていた作品らしい。かなり分厚いものである。
彼の作品はもうあらかた買い込んだ。文庫本では後何点か、本屋で捜すのが困難なくらいである。
幼少のみぎりから、小説を読むのが好きだった私でも、こんなに好きになった作家は珍しい。

昼の食事からどうも調子がよくない。胃袋がつかえた感じで戻しそうである。中途で食べるのを罷める。
一寝入りした後テレビでサッカーをみる。
前半2−0とリードしたのに安心したのか、後半は全く押されっ放しの地元サンフレッチェ、2点を楽々返されてとうとうタイにされ、危うく負けの場面があったがなんとか引き分けに持ち込んだ。こうしてガンバもサンフレッチェもまだ優勝戦線に居残る事となった。なんともじれったい一戦であった。

こんな試合は健康にも悪い。見るのではなかった。

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2009年10月16日 (金)

私の死病とは?

13日の朝から喉が痛くて変な咳が出る。こりゃ風邪を引き込んだなと思ったから、どこか医者に行かなくちゃあと思っていると、家内がせいこうにしなさいという。行き付けの内藤内科は客が多すげて待たされるし、他の風邪をもらってもつまらないしということで、せいこう外科に行く。

熱は37度少々だし大した事は無いと、先生は一番やさしい薬をくれる。
帰ってすぐベッドインしたのだが、その日も翌日も微熱は続きっぱなしで、時には頭が痛くなり起きられない。

電熱毛布迄敷き込んで寒さを防いだら、今度は汗びっしょり。
食欲は全く無くなり食ったりくわだったりと3日目に入る。
風邪ぐらいでおだぶつするのかなとあきらめかけたのだが、なかなかまだ死ねないらしい。
今朝になると急に身体が楽になる。体温をはかると36度7分である。
単なる風邪でも、寝ている時は死んでいるようで夢までみることはない。
何事の想念も浮かぶ事の無いまま今日に至った。

心臓病、皮膚病、風邪といろいろの薬を飲んでいるので、胃腸の調子は最悪である。食事はまるで喉を通らない。
数日食わないくらいではどうということはないらしい。寝ているだけだからなあ。
咳は少々軽くなった。

せっつかれる事の何も無い、もろもろの責務から解放されてる自由をしみじみ感ずる。
若い頃は病気になっても寝ては居られなかった。無理に無理を重ねて、気力で病気を吹っ飛ばした。
この90年の生涯で病院に入院したのは、軍隊のとき盲腸破裂の腹膜炎手術と63歳の時交通事故で頭を負傷し病院に担ぎ込まれて2週間治療を受けたことと二度だけである。健康な身体と言わねばならない.有り難い事であった。

37度程度の熱でダウンするなど過去にはなかったことだが、老体にはまるで抵抗力がない。
しかしもう平熱に帰ったのだから大丈夫だ。ただ咳だけは少し時間がかかるかもしれない。過去にも半年患ったことがあったから。

こんなことでも死につながる筈だが、危機意識はまるでない。
自分の完結の瞬間を静かに覗き込んでいる気持ちの現在である。

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2009年10月12日 (月)

曾孫が主役

連日好天気。気温も変わらず。
家内は早々としめ縄を除去している。

ブログ・ニューースを見ると、便所飯というのが大都会で流行ってるらしい。最近は都会の便所はあまり臭くないからだろうか。
手軽に腰が懸けられるし、邪魔が無くて案外便利がいいかも。いっぺん経験してみないとその神髄には触れられないだろうが。
やっぱり若くないと駄目だな。

新聞を見ると”お札を刷らない日銀”というのがあった。デフレの要因だと言うのだ。馬鹿な私はなるほどなと思ったりする。

足慣らしに植物園に行く。催しがあり、入場無料とあって凄い入り。圧倒的に子供連れが多い。
いささか辟易して、山回りを一回りして帰路につく。10時半に出掛けてきたくしたのが1時。
食事をしなかったので、ちょっと腹が減る。

信号の無い三叉路でバスの前に割り込んだら、大きな警笛を鳴らされる。一瞬ドキッとする。悪かったかな。

午後長女一家がやってくる。彩ちゃんが主賓だ。一挙手一動作が面白くみんな引き込まれる様に見入る。
いくつと聞くと指一本を上げる。まだおしゃべりは出来ないが、人の言う事は実によく判る。
凄いものだなあ。
私はビデオに録画する。うまく撮れたようだ。もう少し永く撮った方がよかったかな。5分しかなかったのでDVDがちょっともったいない。

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2009年10月11日 (日)

町内の子供神輿

気温12度と昨日と同じ。天気は昨日よりも良い。行楽には願っても無いことだろう。明日も体育の日で休日だし。
今日の八幡祭礼も無事終る事だろう。
事実上の班長の我が奥さんもやっと肩の荷を下ろしてくれる事だろう。

隣は何をする人ぞというが、人ごとではない。私も両隣と口をきく事は何年もない。
西隣はもうひと月以上も夜明かりが見えないので、どこへ行っちゃったかなあと時々気にしていたのだが、昨夜は明かりが見えてやれやれである。うちの庭先迄暗くなって、盗難防止に良くないなと思ったりしたもんだが。
町内が違うし、自然には逢う事が無い。
先代が生きて居られた時はそんなにでもなかったのだが、現在の世代とはどんな人か他所で出会ったら判らないだろう。

秋葉広島市長が五輪招致を叫んだ。2020年の非核実行年に長崎を巻き込んでオリンピックを開催するというのである。
最近は実行の難しい事を早く言わねば損みたいに、鳩山発言にしろオバマ発言と言い世界のジャーナリズムを騒がせている。
広島でオリンピックが出来るのかいなと地元の私でも首を傾げたくなる。
東京などと違って、素地がない。白紙から始めなくてはならない。予算もきゅうきゅう言っているのに、金が作れるのかいなである。言うだけでいいという手かも知れないが。

広島新球場が観客動員数187万人の新記録を作ったという。これは苦労して作った秋葉市長始め関係者の喜びは察するにあまりある。オリンピック発言はそれに力を得た発言かも知れない。急に元気が出たな。

9時頃から神輿の太鼓の音が遠くの方から聞こえて来る。やっぱり今日だった。
普段音一つ立たない町内では、小さな小太鼓でもこれに限る、すぐ察しがつく。

FM放送から静かにシューベルトの「ます」が流れている。10時ちょっと前、突如家の前で太鼓や拍子木に混ざって子供の喚声が上がる。子供神輿の到来である。家内が祝儀を包んだのであろう。間もなく行き止まりの路地を引っ返して行き、静かになる。
ラジオの音楽はなにげなくささやかに続く。

町内では子供が少なく、お祭りの神輿も出せなくなった昨今だが、今年は何ヶ町内が合同して神輿を出したらしい。ご苦労なことである。今の町内会長さんは熱心だからなあ。えらいよ。

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2009年10月10日 (土)

秋祭前夜

一昨日午前10時、台風一過して、青空がのぞきさわやかな一日となる。

朝の気温も20度と温かい。何となく元気になれて、どこか旅にでも出掛けるかと家内と話し合う。
旅行社に問い合わせて、京都から天橋立、出石と廻るバスツアーがあったので申し込む。
天橋立は50年ぶりくらいかな。

台風は午後3時現在宮城県に差し掛かっているらしい。予想通り知多半島に上陸して日本縦断ということのようだ。
強い台風だから爪痕が凄いらしい。困ったものだが、自然災害だから文句のいいようがない。

昨朝9時内藤内科に出掛ける。初めて午前中に行き込むのだろうなとびくびくしながら入ってみると、外来はまあまあいっぱいだったが、1時間で順番が来て終る。格別悪い所がないので早い。
10時半青空が大きくなりいい天気になる。

医者に出掛けている間に、町内のしめ縄張りが殆ど終っている。家内も朝一番にひとりで家の回りを付け終わる。明日のお祭りの日はいい天気になるという予報だ。

今朝は朝から雲の少ないいい天気、気温12度と今秋最低。
9時半木元に自動車を持って行く。1カ年定期整備のためだ。タイヤとバッテリーが寿命らしい。
今日いっぱいかかるという。代車を借りて帰る。

帰りにデオデオへ立ち寄る、大処分市をやっていて客が多い。
今度の旅行や東京行きを考えてムービーを買い替えようかと売り場を捜す。
標準タイプでVicter製の3万9千円というのがある。あまりの安さに驚く。しげしげ眺めているうちに店員が寄って来て盛んにお得だと薦める。永くない命だからまあいいかと買う事にする。
すぐ後から来た若主婦らしい女性が私にもと手を出す。限定品だがまだ在庫はある風だった。
60GBのHDに保存する仕組みである。10時間は十分行けるという。説明書には12時間まで一挙動で録画出来ると書いてある。停止画用には別にmicroSDを付けられる。microSDは持ち合わせがいくつもあるので都合が良い。デジカメと二つ持たなくていいかなと手軽さに惚れた。
それにしてもテープの時代は去ったのだなと思い知る。大きさも半分だもんな。

朝あれ程天気のよかった空が一面の雲に覆われる。八幡神社の祭礼は明日らしいが、大丈夫かなと心配だ。
雨でも降ると折角のしめ縄が台無しになるから。班長のくせに祭りの日が今日なのか明日なのかはっきりしない。町内会長によく確かめていなかったらしい。

午後5時車を取りに行く。修理代¥39160.
帰りは大回りしてバイパスに入って帰る。工事がもう少しだが、道幅が狭くなっただけすごい混み様だ。

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2009年10月 7日 (水)

裁判員制度

午前8時現在まだ雨にはなっていないが、愛媛県ではもう盛んに降ってるということで、もう奄美迄やって来た台風18号の影響は免れ得ない。進路はやや東よりに向うかも知れないが、今度は上陸は間違い無さそうだ。
瞬間風速60米というのだからたまらない。

先程気温は19度だったが、この天気ではさほど上がる事は無いだろう。昨夜は少し吹いていたが、問題は風だな。
我が家は軽量鉄骨の軽い家だから、つむじの様なのが来ると巻き上げられる恐れがある。
風は中心でなくても、台風の外周の方が強いとも言われる。心配はそれだ。
今晩はおちおち眠れないかもしれない。

スマトラ地震は死者が今の所7百人を越えたと言ってるが、もう残りは生存の見込みが無いからと捜索を打ち切った由。こちらも大変だが、私の方も今はそれどころではない。
災害は目白押しにやってくる。しかも戦争迄やる馬鹿も居る人間の世の中だ。

午後2時を回っても雨にはならない。何時降り出してもおかしくない様な空具合だが。
気温が上がらないので、薄着では寒くてしょうがない。寝てるばかりなのも能がないし。

曾野綾子さんが”透明な歳月の光”というオピニオン欄に裁判員制度に就いて書いている。
素人が裁判官と同等というのは錯覚だというのである。
全面的に彼女と同意見である。
それ以上に私は民主主義の欠陥をいみじくもこの制度で露呈したと見ている。人権は平等だからといって、裁判などという特殊な技能的な職業を素人も専門家もそれぞれの意見を平等に取り上げるなどというのは行き過ぎである。満足な成果が上がる筈が無い。危険で恐ろしい気さえする。素人と船頭と乗り合わせて舵取りをする船に乗せられる様なものである。

抽選で選ぶ迄は公平かも知れないが、更にこれから篩をかけるなどは、民主的とも言えない気がする。
どちらにせよ悪法だ。止めた方がいい。

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2009年10月 6日 (火)

歴史ということ

昨夜大分降ったらしく、庭は濡れそぼって居る。6時半の気温は20度、南からの影響か。
へそのすぐ脇に湿疹が一つ、痒くて仕方が無い、乾癬だろう。今度は前に廻ったかな。

今日の新聞を読むと歴史雑誌がよく売れているとある。歴史バーなんていうのもあるそうな。歴史好きが集まって侃々諤々やるのだそうな。
女性の歴史好きを歴女というとも。一種のブームなのだろう。

私は小さい時からの歴史好きだからブームには関係ないが、同好者の増える事は嬉しいし歓迎だ。
地元にも物凄い歴史好きがいて、郷土史紀行なる小冊子を刊行している。50巻以上になっていると思うが、ちょいちょい買って来て私も読んでいる。大変面白いし、参考になる。
ここ迄行くともう本物だ。学者と言っても良い。
歴史好きといってもいろいろな分野もあろうし時代もある。簡単には片付けられない。
今ここでその先を論ずるのは大変だから罷めておこう。

先の戦争のことを私はいろいろ書いているが、考えてみるともう歴史の一端に差し掛かったかもしれない。半世紀以上も経っているのだから。生き証人が居る間はまだまだと言う人があるかもしれないが。

私が子供の頃話し好きな伯父さんがよく大竹戦争(長州征伐)の話をしてくれた。そんな昔の話を聞いた所でそんなに興味は無かったが、刀や槍を拾ってあるいたものがいたなどというのは実感があった。山一つ向こう(直距離3キロ程度)が戦場だったのだから。
百姓の家に沢山の槍、刀が蔵の中にゴロゴロしていたのを実際に見ていた。
大竹戦争は1866年のことだから、話を聞いた私が10歳(1930年)頃だし、その時は6、70年前の話だったわけだ。

私が戦地に携行して、敵に斬りつけた軍刀もその中の一つかも知れない。

いつか話した第6号潜水艇(1910年沈没)なども、その証拠品の変転の激しさを思うと、追い求めた私から見ればやはり歴史と言わざるを得ない。今から数えるともう百年になるのかなあ。

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2009年10月 4日 (日)

リスボン条約なるもの

夜半空がよく晴れて満月が中天に輝き、昼の様に四方がはっきり見えた。久しぶりに見た夜景に感動した。

今朝7時、気温13度ちょっと驚いたな。うなぎ下がりだ。
秋の深まりが早すぎる気がした。
スマトラの地震による死者は5百人を超えた。お蔭でサモアの情報はパッタリ消えた。薄情なものだ。

欧州の国家統合を決めるリスボン条約が、小国の主権侵害を恐れていたアイルランドの再投票で僅差で承認され、発効が大前進した。
ほんとの一枚岩になれるかどうか、小国民族独立の世界的風潮に逆らってのこの企てが果たして成功するのだろうか。
通信、交通時間の縮小により、行政単位の無駄は排除されつつあるが、一国単位では問題ない。
が、言語、人種の違う国を統合しての行政単位作りがうまく行くのだろうか。

核廃絶はアメリカの提唱により15ヶ国が満場一致賛成した。だが北朝鮮、イランは蚊帳の外である。
仮に核がなくなっても、武器使用は制限されない。より精巧な武器はまだまだ作られそうである。
F35が欲しいなら、性能情報だけでも10億円だとアメリカはいう。この戦闘機も進化の一過程にあるだけである。
宇宙支配、宇宙からの侵略はまだ初歩段階にも入っていない。が重要指向に入っている国はすぐ側にも居る。

人類の争いは口で言う程美しくはない。陰湿で誠に醜い。

昼は天霧でうどんを食べる。スパークで買い物をして帰る。
天気は申し分ない。

一週間先のお祭り準備でしめ縄を張ったり、天がいを分配したり、家内が生真面目に班長仕事を努めているので、見かねて老骨に鞭打たざるを得ない。裏の上野さんがこれまた見かねて応援に来てくれる。小一時間もあれば片がつく。後はそれぞれの家に任せる以外に無い。
明日からまた天気が下り坂というけど、どうなることやら。

子供が少なくなって、ここ2、3年町内の子供神輿の巡幸はなくなったのだが、合同の神輿が一本町内を抜けるとは言ってはいたが。
今年は新しい公民館が出来たり、そこで衆議院議員の投票が行われたり、老人ばかりの町内も少しづつ様変りしている。このしめ縄なんてのも何時迄つづくことやら。

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2009年10月 3日 (土)

パンダの糞の細菌

気温16度で快晴。漸く秋らしい天気に戻る。
家内は昨日同じリウマチを2カ所で診る事は出来ないと内藤医師から断られた由。
家内は一応記念病院でリウマチは診てもらうことにするらしい。でも風邪を引いたら来なさいと内藤先生にいわれたとも。

私が予想した通り7年後のオリンピックはリオデジャネイロに決まり,東京は落選した。
南米では初めてだから当然だろう。シカゴは再三のアメリカだからどこも食傷している。東京も二度目だから仕方がない。しかも前回北京でやって,アジアはもう暫くはいいと思うだろうから。

ブラジルは今大発展しているというし、邦人が沢山暮らしているし、いいじゃないの、しっかり応援して上げたい。ポルトガル語の国というのも何となく嬉しいね。
種子島に鉄砲を持て来てくれて,そのせいもあって戦国時代が治まったし、ポルトガルには不思議な因縁を感ずる。
マカオを中国に返還して,今植民地が一つもないと国だという事も好感が持てる。
まだ世界には領土を拡張しようとして、あくどく小さな小島迄横取りして返そうとしない国があるというのに。
ポルトガルも日本も一頃は領土拡張に熱心ではあった。
いつかしっぺ返しを食らう時期が必ず来る。

今日の新聞でもう一つもっとも愉快なニュースがあった。北里大学の田口教授がイグ・ノーベル賞というのを貰ったという事である。研究成果はパンダの糞に生息する細菌がごみの95%を水と二酸化炭素に分解してくれるというのだ。発表会の席で千人の聴衆に笑いが起きたというが,私も嬉しくなって笑っちゃった。

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